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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園優勝の名将が明かす、呼びつけて激怒した“ある控え選手への後悔”…「何年も経ってから、泣きながら話をしてくれました」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byTakao Yamada
posted2022/04/11 17:00
42年間の指導者生活を経て、昨夏引退した澤田勝彦氏(元松山商監督)。甲子園制覇も成し遂げた名将が語る「指導に必要な厳しさ」とは
「松商の監督時代に、3年間補欠だった子とのエピソードが忘れられん。フリーバッティングのときでも、一球ごとにスタートを切れと口を酸っぱくして言っていたんですが、レフトを守っていたその子がそうしなかった。呼びつけて、室内練習場で怒りました。何年も経ってから、『あのとき、僕はうれしかったんです。無視されるんじゃなくて、怒ってくれる人がいるということがわかったから』と泣きながら話をしてくれました」
「1回でもユニフォームを着させてやれば…」
松山商業、駒澤大学と強豪校で野球を続けた澤田は、高校時代に西本聖(元読売ジャイアンツなど)、大学では石毛宏典(元西武ライオンズなど)と同じ釜の飯を食った。だが、プロ野球に進んだ彼らとは違い、レギュラーとして活躍することはできなかった。だからこそ、控え選手の気持ちに敏感だ。
「でも、いまでも胸に引っかかっておるのは、あの子に松商のユニフォームを着させてやらなかったこと。練習試合でもいいから、1回でもユニフォームを着させてやればよかった。そうしないで、卒業させてしまったことには後悔があります。
本人に話を聞いたとき、無視されるということがどれだけさびしいことなのか、小さなことでも気づいたら声をかけてやることが大事だなと改めて思いました」
1996年夏の甲子園のように、厳しさが勝利に結びつくこともある。だが、多くの選手たちは澤田の指導と敗北から何かを得て、社会へ飛び出していった。
「目標は甲子園、目的は人間形成とずっと言い続けてきました。いまも、思いは変わりません。野球を通じて、社会に役立つ人間形成をしたいと考えてきました」(つづく)
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