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甲子園優勝の名将が明かす、呼びつけて激怒した“ある控え選手への後悔”…「何年も経ってから、泣きながら話をしてくれました」

posted2022/04/11 17:00

 
甲子園優勝の名将が明かす、呼びつけて激怒した“ある控え選手への後悔”…「何年も経ってから、泣きながら話をしてくれました」<Number Web> photograph by Takao Yamada

42年間の指導者生活を経て、昨夏引退した澤田勝彦氏(元松山商監督)。甲子園制覇も成し遂げた名将が語る「指導に必要な厳しさ」とは

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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Takao Yamada

1996年夏の甲子園。「奇跡のバックホーム」として語り継がれるビッグプレーが生まれ、松山商は全国制覇を成し遂げた。チームを率いた澤田勝彦氏(65歳)は昨夏に監督業を引退。“鬼”と恐れられた名将がいま明かす「指導に必要な厳しさ」とは――(全2回の前編/後編へ)

 いまから40年ほど前、高校野球の強豪校には「鬼」と恐れられる指導者がいて、厳しすぎる上下関係があるのが当たり前だった。そういう壁を乗り越えてこそ、勝利はつかめるという考え方が圧倒的だった。

 甲子園で実績のある伝統校には野球エリートが入ってくる。猛練習で選手たちをふるいにかけ、全国で優勝を狙うチームをつくり上げる。当然、毎日の練習は長く、厳しい。

罵声、水飲み禁止…“昔の練習風景”

 筆者が生まれ育った愛媛の名門と言えば、全国優勝の実績を持つ松山商業だった。ある日、甲子園出場のかかる夏の大会に臨む選手たちの練習風景が、夕方のテレビのニュースで映し出された。

 至近距離から激しいノックを打ちまくる指導者、罵声を浴びせられながらも、ユニフォームをドロドロにして食いついていく内野手。ノッカーがコップの水を差し出して、こう言う。

「水、飲みたかったら飲んでええぞ」

「いいえ」

「休みたかったら休んでええぞ」

「いいえ」

「じゃあ、タラタラせんと、ちゃんとやれや」

「はい!」

 直立不動の選手が大きな声で返事をすると、またノックが再開された。

 いまでは、こんなシーンがテレビで流されることはないだろう。暴力がふるわれたわけではないが、それをイメージさせるに十分な迫力だった。小学生だった筆者は「松商ではこんな練習が行われているのか。だから強いのか」と思ったものだ。

「厳しい表情ばかりしとるように言われてなあ」

 その松山商業野球部のコーチを8年つとめたあと、監督として18年も指揮をとった澤田勝彦は、高校野球を代表する名門で選手から「鬼」と恐れられた指導者だ。

 1990年夏、監督として初めての甲子園に出て、2勝を挙げた。1992年春、1995年夏、1996年春にも甲子園に出場。1996年夏に日本一になり、2001年夏に全国ベスト4進出を果たした。甲子園には春夏合わせて6度出場し、12勝を挙げている。

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