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甲子園優勝の名将が明かす、呼びつけて激怒した“ある控え選手への後悔”…「何年も経ってから、泣きながら話をしてくれました」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph byTakao Yamada

posted2022/04/11 17:00

甲子園優勝の名将が明かす、呼びつけて激怒した“ある控え選手への後悔”…「何年も経ってから、泣きながら話をしてくれました」<Number Web> photograph by Takao Yamada

42年間の指導者生活を経て、昨夏引退した澤田勝彦氏(元松山商監督)。甲子園制覇も成し遂げた名将が語る「指導に必要な厳しさ」とは

「上甲(正典)さんが甲子園でニコニコしとるのに、こっちは『鬼』じゃけん。いつも厳しい表情ばかりしとるように言われてなあ」

 この春、65歳になった澤田は豪快に笑う。

 澤田の言う「上甲さん」とは、1988年春のセンバツで宇和島東を率いて初出場初優勝を成し遂げた名監督。笑顔で采配をふる姿は「上甲スマイル」として有名になったが、厳しい練習で岩村明憲(元東京ヤクルトスワローズなど)や平井正史(元オリックス・バファローズなど)らを育てたことで知られている。

名門を率いるプレッシャー…「毎日が針のむしろで」

 その上甲が監督をつとめた宇和島東、済美などと甲子園出場を目指してしのぎを削った澤田は、2021年夏の愛媛大会を最後に監督業から退き、42年の指導者生活に幕を閉じた。澤田は言う。

「個々の能力で劣っていても組織の力で対抗すれば勝利することができる、それが高校野球の醍醐味ではないでしょうか。勝負に対する怖さがあるから、一球一球に集中して練習する。そういう練習の中に、人づくりの教育があったんです」

 駒澤大学を卒業した1980年から母校の松山商業野球部のコーチに就任、1986年夏の全国準優勝を経験している。1988年8月に監督に就任してからは、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日を過ごした。

「26年間は毎日が針のむしろで……でも、プレッシャーがあるから指導者も選手も成長することができた。練習を見に来てくれるファンがたくさんいて、常に人の視線にさらされて、一瞬たりとも気が抜けなかった。その積み重ねがあるから、松商は土壇場で強かった」

「キツく叱りつけることが厳しさではない」

 澤田が先輩から受け継ぎ、コーチ、監督として守ってきたものは何か。

「相手にムダな点をやらないで、少ないチャンスをモノにしてそれを守り抜く、緻密な野球ですね。反復練習をしないと基礎となる技術は身につかない。そのためには指導者の根気がいります。毎日毎日、同じことを言い続けないといけない」

 澤田は気を抜いたプレーを嫌った。スキを見せた瞬間に、相手に付け込まれるからだ。そんなとき、澤田は鬼になった。

【次ページ】 いま明かす教え子への“後悔”

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