甲子園の風BACK NUMBER

「あの、奇跡のバックホームの矢野さんですか?」営業部長に昇格…“松山商ライト”矢野勝嗣(43)の今「重荷に感じることもありましたが…」

posted2022/03/24 17:03

 
「あの、奇跡のバックホームの矢野さんですか?」営業部長に昇格…“松山商ライト”矢野勝嗣(43)の今「重荷に感じることもありましたが…」<Number Web> photograph by KYODO

1996年夏の甲子園、「奇跡のバックホーム」として語り継がれる大返球を見せた矢野勝嗣(松山商)。いま回顧するあの試合、そして今は?

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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1996年、夏の甲子園決勝。のちに「奇跡のバックホーム」として語り継がれるビッグプレーが生まれた。主役となった背番号9・矢野勝嗣さん(43)の回想と今、当時監督・澤田勝彦氏による「土壇場の選手交代」決断のウラ側を聞いた。(全2回の後編/前編へ)

 熊本工業との決勝戦の10回裏。矢野にとって、同大会初めての途中出場だった。「奇跡のバックホーム」でチームを救った矢野はすぐにバッターボックスに入り、初球のカーブを打って二塁打。その一打で松山商業打線が元気を取り戻し、その回に3点を挙げ、全国優勝を手繰り寄せたのだ。

澤田監督が矢野を起用した理由

 あの夏、チャンスで代打を送られたこともあったし、出番なくゲームセットの瞬間を迎えたときもあった。監督に対して不信感を抱いたこともあった。それでも、矢野は最後まで監督を信じ、監督は最後の大ピンチで矢野にすべてを託したのだ。その決断の裏には澤田監督の信念があった。

「悪い結果が出たときに、『あいつがやったんなら仕方がない』と思われる選手になるか、『やっぱりあいつがやったか』と言われる選手で終わるか。ここには大きな違いがあります。大事なのは、普段からどれだけ練習に対して思いを持ってやるかです。あの場面で矢野を起用したのは、普段の生活や態度を見て、信頼できると思ったから」

 監督の期待に応え、大仕事をやってのけた矢野は言う。

「澤田監督のもとで野球ができて、本当にいい思いをさせてもらいました。よく怒られたし、やめようと思ったことは何度もあります。それでも野球を続けたのは、澤田監督が最後まで僕を見捨てることなく、最後までしっかり見ていてくれたからです」

矢野が見せた“初めてのガッツポーズ”

 矢野にとって、甲子園での最後の打席。ピッチャーに向かって「よし、来い!」と叫んだのも、初球の変化球を打ったのも初めてのことだった。ヒットを打って、塁上で派手なガッツポーズをしたことも、それまでは一度もなかった。

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