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原辰徳を“がっくり”させた中日・落合博満の“采配”「先発は山井ではなく小笠原」 参謀・森繁和が明かす07年CSで感じていた“巨人への恐れ” 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/03/26 11:03

原辰徳を“がっくり”させた中日・落合博満の“采配”「先発は山井ではなく小笠原」 参謀・森繁和が明かす07年CSで感じていた“巨人への恐れ”<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

落合が退任する'11年まで続いた6年に及ぶ全面戦争。直接対決のCSを含めた通算成績は落合の83勝71敗3分だった

東京ドームで巨人とやるときは不安でしょうがなかった

 落合とその参謀である森が、青と白のユニホームに袖を通してからセ・リーグは中日の時代になった。就任初年度の2004年に優勝を果たした。2005年こそ阪神に振り切られたが、2006年は再びペナントを手にした。ライバルは堀内恒夫が率いる巨人ではなく、むしろ岡田彰布の阪神だった。ただ、2006年に原が2度目の監督として巨人に戻ってくると、様相が変わってきた。

《原監督も、巨人も、野球そのものが変わった。細かい野球をやるようになった。全員に長打力がある上に隙も見せないわけだから。特に東京ドームで巨人とやるときは、どれだけ点差をつけても最後まで不安でしょうがなかった》

 豪華絢爛ながら空転することも多かった巨人打線が、細かな意思統一のもとに繋がるようになった。右左中間の狭い東京ドームでは破壊的な得点力を発揮し、とりわけ高橋由伸、小笠原道大、李承燁(イ・スンヨプ)、阿部慎之助、清水隆行といった強力な左バッターたちは、森が束ねる中日投手陣を恐れさせた。

 そんな巨人打線に唯一、脆さが見えたのが、相手先発投手が予想と異なった時だった。特にそれが左腕であると、自慢の左バッターたちは繋がりを欠くことがあった。

 森はそこに目をつけた。阪神、巨人の順に戦うクライマックスシリーズが始まる前、誰をどこで投げさせるのか思案していた時、ふと奇襲のアイデアが浮かんだのだ。

「良ければ、東京で先発いくからな――」

《巨人との1戦目に投げさせる予定だった投手(山井)が故障していたんだ。故障していない振りをさせてはいたけど、だったら左でいくしかない。小笠原を先発させるしかなかった。シーズン中から巨人がうちの先発ピッチャーの予定を異様に気にしているのは感じていたから、だったらそれを逆手に取ってやろうと思ったんだ》

 まだ予告先発制が導入されていないセ・リーグにおいて、両軍は水面下の情報戦においても激しくせめぎ合っていた。

 阪神とのCS第2戦、勝てば東京行きが決まるゲーム、森は4点をリードした6回から小笠原をマウンドに送った。

「良ければ、東京で先発いくからな――」

 小笠原にそう伝えると、半信半疑のような顔をしていた。当然だろうと森は思った。日本シリーズをかけた重要なプレーオフの初戦に、リリーフ投手が中3日で先発するというのは球界の常識として、ほとんどあり得ないことだった。

 小笠原は2イニングを無失点に抑えて戻ってきた。おそらく、この様子を原巨人もテレビ画面越しに見ているはず。森は腹を決めた。こうして伏線は張られたのだった。

【次ページ】 巨人から、これほどの圧力を感じるようになったのは

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