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原辰徳を“がっくり”させた中日・落合博満の“采配”「先発は山井ではなく小笠原」 参謀・森繁和が明かす07年CSで感じていた“巨人への恐れ”
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/03/26 11:03
落合が退任する'11年まで続いた6年に及ぶ全面戦争。直接対決のCSを含めた通算成績は落合の83勝71敗3分だった
「怖かったんだよ……」
試合は中日が3点をリードしたまま、8回裏の巨人の攻撃に入っていた。森は1アウトとなった時点でベンチを立った。落合も腰を上げた。このタイミングで、ストッパーの岩瀬仁紀を投入したのだ。
かつて自らもストッパーを務め、肘を壊して引退した経験のある森は、シーズン中、岩瀬に託すのは3つのアウトまでと心に決めていた。ただ、この時ばかりは禁を破った。そうせざるを得なかった。
《怖かったんだよ……。どれだけリードしてても追いつかれるような気がした》
中日はそのまま逃げ切った。それを皮切りに巨人に3連勝してCSを勝ち抜くと、勢いのまま日本シリーズも制覇した。
だからだろうか、誰も予想しなかったサウスポー小笠原の先発起用は、落合中日の執着と狡猾さ、対する原巨人の淡白さを象徴する出来事として語られるようになった。
「結局、野球界は巨人を中心にまわるもんなんだって」
だがその裏で、仕掛け人である森が最後まで原巨人に対する恐怖に駆られていたのも事実だ。そして森の心のどこかに、それでこそ巨人軍だという思いがあった。
《口にはできなかったけど、俺は小さい頃からジャイアンツに憧れていた。親父も、田舎の親類もみんなそうだった。どれだけ自分たちが勝っていても結局、野球界は巨人を中心にまわるもんなんだっていうこともどこかではわかっていたよ》
森は西武ライオンズ時代、1982年に中日を破って自身初めての日本一となった。その時、歓喜に浸るチームを前にして、当時のオーナー堤義明はこう言った。
「巨人を倒しての日本一でなければ、日本一とは言えない。だから祝賀パーティーはやらない――」
それからはずっと巨人を倒すことを胸に野球界を生きてきた。巨人に勝って、いずれ敗れる。その繰り返しで生きてきた。
森の予感通り、2007年から中日は原巨人にリーグ3連覇を許すことになった。