ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
《芸人「レイザーラモン」の由来にも》享年63歳スコット・ホールとは何者だったのか? 新日本で活躍後、米国プロレスブームの主役に
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2022/03/22 11:01
新日本プロレスで活躍し、“レイザー・ラモン”のリングネームで米国プロレスの主役としても活躍したスコット・ホール氏
大学時代のHGとRGは“ある方法”でドハマり
一方、日本ではnWo時代や新日本でのルーキー時代のスコット・ホールはよく知られているが、WWEでの「レイザー・ラモン」時代は、じつはあまりファンに馴染みがない。
ホールが「レイザー・ラモン」として活躍した92年~96年は、ネット配信動画はおろか、テレビのCS放送もまだない時代。それまで日本のファンがWWEを観る手段は、もっぱらビデオソフト化されたものをレンタルして観るのが一般的だったが、日本でも人気のハルク・ホーガンが93年に俳優業を優先するためにWWEを退団すると、そのビデオソフトも作られなくなってしまった。ちょうどレイザー・ラモンが活躍した時期は、日本で“動くWWE”がなかなか観ることができない空白期間だったのだ。
そんな時期になぜ、HGとRGはレイザー・ラモンのファンになったかといえば、大学のプロレス同好会に所属していた際、アメリカ在住の同好会OBが後輩たちに向けて国際郵便で送りつけてくる大量のWWE録画ビデオテープを観てどハマりしたからだという。
アメリカではプロレスラーのリングネームとして超メジャーな「レイザー・ラモン」という名前が、日本ではお笑いコンビのほうが圧倒的に有名なのは、そんな理由もあったのである。