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「あの瞬間、ベイダーはモンスターになったんだ」猪木を3分で倒した“最強外国人レスラー”衝撃デビューの真相《WWE殿堂入り》
posted2022/03/12 11:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
毎年、世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア』開催に合わせて表彰式が行われる名誉殿堂『WWEホール・オブ・フェーム』。今年の受賞者としてジ・アンダーテイカーに続いて、日本でも活躍したベイダーの殿堂入りが発表された。
ベイダーは新日本プロレスのIWGPヘビー級王座と全日本プロレスの三冠ヘビー級王座の両方を獲得した最初のレスラーであり、唯一の外国人レスラー。また格闘技スタイルのUWFインターナショナルでも高田延彦を下しプロレスリング世界ヘビー級王座を獲得。さらにアメリカではWCW世界ヘビー級、メキシコではUWA世界ヘビー級、ヨーロッパではCWA世界ヘビー級のベルトを腰に巻くなど、世界の主要王座をほぼ総なめにしたが、最初にブレイクしたのは新日本プロレスのリング。言わば、“日本が生んだ世界のトップレスラー”でもあるのだ。
もともとベイダーことレオン・ホワイトは、学生時代から全米クラスで活躍したフットボーラーで、コロラド大学卒業後はNFLのロサンゼルス・ラムズに入団したエリートアスリート。しかしプロレス転向後は、大型ルーキーではあったもののすぐには芽が出なかった。ベイダー自身は新人時代をこう語る。
「実際にやり始めてからわかったことだけど、プロレスは予想以上にハードで難しい世界だった。フットボールはプレイに集中していればいいけど、プロレスは勝つだけじゃ何にもならない。自分のキャラクターを作り上げなければならないし、トークもあるし、常に観客のことを考える必要がある。それらすべてを同時にやらなければいけないからね。だから、いくらフットボールで実績があっても、頭が筋肉みたいな選手はなかなかプロレスで成功するのが難しいんだ。私自身、自分のキャラクターを確立し、やりたいレスリングができるようになるまでには時間がかかった。プロレスはとにかく頭を使うスポーツだよ」
マサ斎藤に選ばれた“怪物レスラー”
そんなフットボール上がりのレオン・ホワイトがプロレスラーとしての才能を覚醒させたのが、1987年からの新日本プロレスへの参戦だった。
当時、新日本はビートたけし率いる「たけしプロレス軍団(TPG)」の刺客という触れ込みで登場させる新たな怪物レスラー「ビッグバン・ベイダー」の“中身”となる外国人レスラーを探していた。候補に上がったのはレオン・ホワイトと、新日本の練習生だったブライアン・アダムス(のちのデモリッション・クラッシュ)、そしてのちのアルティメット・ウォリアーであるディンゴ・ウォリアーの3人。その中から“TPGの参謀”としてプロジェクトを任されていたマサ斎藤が選んだのがレオン・ホワイトだった。