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甲子園の風BACK NUMBER
「あの、奇跡のバックホームの矢野さんですか?」営業部長に昇格…“松山商ライト”矢野勝嗣(43)の今「重荷に感じることもありましたが…」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2022/03/24 17:03
1996年夏の甲子園、「奇跡のバックホーム」として語り継がれる大返球を見せた矢野勝嗣(松山商)。いま回顧するあの試合、そして今は?
「僕に野球の実力があれば違うのでしょうが、『俺の言う通りにやれ』とは言えない気がします。選手たちに考えさせるかもしれないですね。でも、監督に気合を入れてもらったほうが、気が引き締まるし力が出るかもしれないとも思います」
「澤田監督がいなければ、いまの僕はありません」
1996年夏の澤田監督は39歳だった。いつの間にか、矢野はその年齢を追い越した。
「消極的なプレーをして、練習から外されたこともあります。バットを握らせてもらえなかったことも。レギュラーとの差がもっと開くと思って焦りましたし、澤田監督のことが嫌いになったこともあります。ほんの一瞬だけですけど」
いまでも澤田監督の顔を見るたびに初心を思い出すという。
「高校時代は澤田監督が怖くて怖くて、会話をするときにはいつもドキドキしていました。いまではさすがにそんなことはありません。でも、お会いするときは、初心に戻るというか、背筋が伸びるような気がします。本当に心から尊敬できる指導者です。
もし澤田監督がいなければ、いまの僕はありません。あのときに本気で怒られてよかったと僕は思います。当然、痛いし、つらいんですが、あの体験から得られたものは多かった」
「その言葉ですべてが報われました」
最後に、澤田監督の言葉をもう一度。
「たとえ、矢野のバックホームが悪送球になって負けたとしても、それまでの練習に取り組む姿勢を見ていたので、『あいつがやったんなら仕方がない』と納得したでしょう。野球に限らず、人間関係すべてにおいて大事なのは、『信じる、信じ合う』こと」
矢野はこう言う。
「最後に澤田監督から『信頼していたから使った』と言ってもらいました。その言葉ですべてが報われました」
報われない(かもしれない)努力を続けた「半レギュラー」がつくった「奇跡のバックホーム」。それは、監督と選手の間の信頼、強い絆が運んできたものだった。(前編よりつづく)
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