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甲子園の風BACK NUMBER
「あの、奇跡のバックホームの矢野さんですか?」営業部長に昇格…“松山商ライト”矢野勝嗣(43)の今「重荷に感じることもありましたが…」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2022/03/24 17:03
1996年夏の甲子園、「奇跡のバックホーム」として語り継がれる大返球を見せた矢野勝嗣(松山商)。いま回顧するあの試合、そして今は?
「最後の最後で、自分を解放することができました。なかなかチャンスに恵まれなくて、その間に溜まっていたものをバーッと出した感じですね。僕にとっては、バックホームよりも、ツーベースを打ったことのほうがうれしかった」
高校卒業後は地元の松山大学で野球を続け、4年生の春にキャプテンとして全日本大学野球選手権にも出場を果たした。
「進学した松山大学野球部には、厳しい指導も上下関係もありませんでした。全日本選手権に出ることを目標にしてきましたが、野球の強豪ではなかったので、はがゆさを感じることもありました。ただ、それははじめからわかっていたことでしたから。
高校時代はやらされる練習でしたが、大学では自分たちで練習メニューを考えてやっていました。強い高校やそうでない高校から来た選手がいたので、野球とは? と改めて考えることになりました。大学でやった自分たちで考えた野球のほうが楽しかったかもしれない。高校時代とは別の野球でしたね」
大学卒業後はテレビ局へ…4月からは部長に
大学卒業後に教員になるという選択肢もあったが、愛媛朝日テレビ(テレビ朝日系列)に入社。甲子園取材を行ったこともあった。この4月から営業部の部長になることが決まっている。いまでも、営業先で「あの、奇跡のバックホームの矢野さんですか?」と驚かれることも多い。
「そう言われることを、20代のころは重荷に感じることもありましたが……。25年も経ったいまも、名前を思い出していただくのはありがたいですね」
あれから四半世紀以上が経ち、いまでも、矢野は「奇跡のバックホーム」を背負って生きている。
もし矢野が高校野球の監督になっていたとしたら、どんな指導をしただろうか。