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マラソン“お喋り”シーンが話題に…優勝した“帝京大出身の元箱根ランナー”星岳が明かす「『そんなに余裕があるのか!』と思って…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byJIJI PRESS
posted2022/03/05 17:00
2月27日に開催された「大阪マラソン・びわ湖毎日マラソン統合大会」で話題となったレース中の“談笑”シーン。この時、後方を走りマラソン初優勝を果たした星岳はどう見ていたのか
この時、星の頭の中には、2月6日の別府大分マラソンで優勝した西山雄介(トヨタ自動車)のレースがあった。このレースでは、36km過ぎに古賀淳紫(安川電機)が抜け出したが、40㎞を前に追いついた西山が優勝を果たしていた。
「西山さんを参考にしました。結果的に逃げられる可能性もあったかもしれないですけど、最後の最後まで何もしなかった選手が勝つと思っていたので、揺さぶられることなく、進めました」
結果的に、終盤の勝負所に力を温存することができた。星自身も勝因にあげる“準備”として「別府大分マラソンをテレビで見て、自分のレースに置き換えた」ことは大きかった。
初マラソンで優勝、そして歴代記録の更新。そもそも23歳の星岳とはどんな選手なのか?
無名だった高校時代、箱根の常連・帝京大へ
宮城・明成高時代は全国的に名を知られた選手ではなかった(ちなみに、高校の1学年先輩には、NBAで活躍するプロバスケットボール選手の八村塁がいる)。
高校卒業後は帝京大に進むも、入学当初は「小さいし、パワフルさもない、ご飯もそんなに食べられない。4年間もつのかなって心配でした」と中野孝行監督が心配したほど。それでも、1年目から箱根駅伝のメンバーに絡むと、2年時に箱根駅伝に初出場し、10区区間賞を獲得。3、4年時はエースとしてチームを牽引し、駅伝等で活躍した。
「学生時代は箱根駅伝を目標に練習をしてきました。箱根駅伝も長い距離でタフなコースなので、その取り組みは、マラソンに生きていると思います。それに、箱根駅伝は非常に大きな舞台なので、それに出場するにあたって、精神的な部分は結構鍛えられたのかなと」
星が学生時代の取り組みをこう振り返るように、箱根駅伝に向けたトレーニングの中で、マラソンランナーとしての土台が作られていった。同時に「トラックよりもマラソン」型と自己分析しており、「社会人に進んだら早めにマラソンに挑戦したい」とも考えていたという。
貧血に苦しんだ実業団1年目…マラソン始動が遅れた
そして、コニカミノルタに入社し、春先に1年間のレース計画を立てた時に、年度末に初マラソンに挑むことを決めた。
シーズンの最後に大きな成果を上げたものの、ルーキーイヤーは決して順風満帆だったわけではない。春先こそ順調に滑り出したものの、6月ぐらいに体調を崩すと、夏は貧血に苦しんだ。早い時期からマラソンに向けた準備を進めるつもりだったが、それができなかった。
ただ、決して順調とはいえなくとも、星の考えは前向きだった。