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箱根駅伝を“1月1日”に辞退、誹謗中傷を受けた元早大ランナー・三田裕介32歳が明かす真実「可哀想な奴という視線がつらかった」

posted2022/03/03 17:02

 
箱根駅伝を“1月1日”に辞退、誹謗中傷を受けた元早大ランナー・三田裕介32歳が明かす真実「可哀想な奴という視線がつらかった」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

早稲田大学で箱根駅伝優勝を経験し、現在は企業で陸上部の監督を務めている三田裕介

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加藤康博

加藤康博Yasuhiro Kato

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Yuki Suenaga

 1月の箱根駅伝が終わって約2カ月。その余韻は春の訪れが近づくとともに薄れ、箱根を走った選手も走れなかった選手も、次の目標へと向かっているが、過去には箱根を”走らない”選択をした者もいる。2012年の箱根駅伝。早大4年だった三田裕介は4区にエントリーされながらタスキを胸にかけることはなかった。故障でもなければ、戦略的な意図で外されたわけでもない。戦力として計算されていながら前日の1月1日、当時の早大、渡辺康幸駅伝監督に自ら、辞退を願い出たのである。

 1年生の時に同じ4区で区間記録(当時)を作り、前年の箱根優勝メンバーだった三田の決断は当時、関係者の間で話題となった。結果として早大はこの大会、4位に終わっている。あれから10年、これまで口にしなかった思いを本人が語ってくれた。“走らない決断”はどのように下されたのか。本人、そして当時の指導陣が今明かした“真実”とは――。

◆◆◆

ブロック長として練習を引っ張り続けた三田

「もともと過去を振り返るタイプではないので、そのことも改めて考え直したことはありません。ただせっかくお声がけ頂いたので当時のことを真剣に思い返し、自分なりに整理してみました」

 三田は笑顔でそう切り出した。

 2011年度の大学駅伝は戦前から東洋大、駒澤大、早大の3強と言われていた。早大は前年度、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根を制して3冠を果たしており、そのメンバーの多くが残っていた。しかし内情は主力に故障者が多く、楽観できる状況ではなかった。

「4年生では主将の八木勇樹が故障で駅伝2戦を走れず、矢澤曜は試合こそ出ていましたがケガがちでした。となると練習でも引っ張るのは長距離ブロック長をしていた私しかいません。自分がやらなければという意識は強く持っていましたし、秋以降、ほぼ全部の練習を自分が引っ張っていました」

 初戦の出雲は東洋大が制し、2位が駒澤大。逆に次戦の全日本は駒澤大が勝ち、東洋大は2位だった。早大はともに3位。箱根前には「3強」の構図は「2強」へと変わりつつあった。

下級生から「三田さん、ちゃんとやってくださいよ」

 早大は例年、全日本後の11月後半から「集中練習」と呼ぶ強化期間に入る。夏合宿で行うような徹底した走り込みに加え、実戦を想定した強度の高い練習で箱根に向けた最後の準備を行う場だ。

「卒業前の最後の試合、絶対に箱根は負けられないと思っていました」

 故障から復帰した主将、八木とともに三田はこの集中練習でも集団前方で引き続けた。

【次ページ】 1月1日の決断「自分が走るべきではない…」

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