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「全然オーラが違ってました」高橋尚子に敗れた4人の名ランナーが語る“凄まじさ”…名古屋国際女子マラソンから連勝街道は始まった

posted2022/03/13 06:00

 
「全然オーラが違ってました」高橋尚子に敗れた4人の名ランナーが語る“凄まじさ”…名古屋国際女子マラソンから連勝街道は始まった<Number Web> photograph by AFLO

1998年、名古屋国際女子マラソンにて初優勝を果たした高橋尚子

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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AFLO

シドニー五輪金、世界記録、通算11戦7勝。ピッチ走法で日本女子マラソンの景色を変えた高橋尚子。その連勝街道は、1998年の名古屋国際女子マラソン(現:名古屋ウィメンズマラソン)での快走から始まりました。彼女と42.195kmを戦った4人の名選手が、レースで感じたその恐るべき強さを回想した、雑誌『Number』(2021年07月15日発売)に掲載された記事を特別にWeb公開します。(肩書などはすべて当時)

「高橋って言うんだけどさ、このコは強くなるからね。まあ見ててよ」

 弘山晴美の心にさざ波を立てたのは、ぽつんと放り込まれた何気ない一言だった。こう声をかけてきたのは、高橋尚子を指導する故・小出義雄である。

「たしか鈴木博美さんがアテネの世界選手権(1997年)でマラソンの金メダルを取ったときだったと思うんです。私と高橋さんは5000mに出場していたんですけど、その時からもう『Qちゃんは強いんだ、強いんだ』って言ってました。決勝で一緒にダウンジョグをしましたが、マラソン選手という印象はあまりなかったです」

 その名が記憶の片隅からふと浮かび上がってきたのは翌'98年のことだ。弘山が2度目のマラソンに挑んだ3月の名古屋国際女子マラソンで2人は相まみえる。高橋もまた2度目のマラソン挑戦だったが、事前に注目を集めていたのは弘山の方だった。トラック種目で実績があり、数々の日本記録を持つ「トラックの女王」が、学生時代以来7年振りとなるマラソンをどう走るのか。カメラのファインダーの多くは弘山の脚に注がれていた。

高橋のロングスパートに誰も反応できなかった

 だが、レースは意外な展開を見せる。序盤からスローペースで進み、30km通過時点で14名もの選手が先頭集団に残るなか、その直後にロングスパートをかけたのは高橋だった。スピードではロシアのワレンティナ・エゴロワや弘山の方に分があると思われていたが、突然のペースアップに反応できた選手は1人もいなかった。

「それまで5kmを17分半くらいのペースで来ていたのに、いきなりペースがぐんと上がって、周りはみんな驚いてました。私もケガ明けでスピード練習をやっていなかったからまったくついていくことができなくて……。まだマラソン2回目ですよね。私は自分からレースを動かそうなんて考えてもなかったと思う。急激なスピードアップもそうですけど、あそこで自らスパートをかけたことにも驚かされました」

 前半がスローペースだったにもかかわらず、高橋が出した2時間25分48秒は当時の日本最高記録だった。いかに後半のギアチェンジが規格外であったかが伝わってくる。

【次ページ】 ペースメーカーもいない中でも圧勝してきた

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