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人類初の2時間切りまで“あと99秒”…キプチョゲが語る“F1化するマラソン”「それでも速く走るのはシューズではなくてランナーです」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/03/05 17:00
3年ぶりに開催される東京マラソンに出場する世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ
ちょうどその頃、ナイキでは「Breaking2」というプロジェクトが進められていた。アスリート、科学者、技術者が一体となって、マラソンで2時間の壁を破ることをめざすという壮大な計画だ。
候補にあがった60名のランナーは、さまざまな身体能力のテストを受け、最終的に3人まで絞り込まれた。その一人がキプチョゲだったのである。彼らは、生理学、バイオメカニクス、栄養学、流体力学などの研究者や、ナイキの開発チームとともに、約7カ月にわたってトレーニングとテストを重ねた。
サブ2達成まで25秒「誰もが限界に近づくことができる」
そして、2017年5月6日、イタリアのモンツァ・サーキットで本番を迎えることとなった。モンツァといえばFlの聖地。世界屈指の高速コースとして知られ、起伏が少なく、コーナーも緩やかなことから、挑戦の舞台に選ばれたのである。
常時6人のペースメーカーがフォーメーションを組んで風よけとなる中、キプチョゲは5km14分15秒(キロ2分51秒)を切るペースを維持した。しかし、25km以降はややペースダウンし、35~40kmは14分27秒まで失速。結果的にサブ2は達成できなかった。それでも、彼が顔を曇らせることはなかった。
「今日、私は不可能は可能になるということを学びました。私たちがここに来たとき、2時間を切るには、世界記録からさらに2分57秒の壁を超えなければなりませんでした。でもいまは25秒です。夢は現実になろうとしているのです。目標は達成できませんでしたが、私は幸せです。世界中の人々に、不可能などはない、希望を持とうと言うことができるからです。決意して、集中して、本当にそれを望めば、誰もが限界に近づくことができるのです」
マラソンは“F1化”していくのか
特殊な環境下で行われたため、この2時間0分25秒というタイムは国際陸上競技連盟の公認記録とはなっていない。だが、これを境に世界のマラソンシーンは新たな段階に入ることになった。コーチと選手による二人三脚の時代から、メーカー、科学者、技術者を巻き込んでチームを形成し、選手自身がテクノロジーの進化に関わりながら戦う時代になったのだ。Flのサーキットが使われたのが象徴的だが、ランナー=ドライバーが、シューズ=レーシングカーの開発を促し、1秒を削り出すという世界である。