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ドーピング問題のワリエワは“見世物”にされていなかったか? バッハ会長の「こんな冷たい態度」発言に見る責任転嫁と選手軽視 

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プチ鹿島

プチ鹿島Petit Kashima

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posted2022/03/03 06:00

ドーピング問題のワリエワは“見世物”にされていなかったか? バッハ会長の「こんな冷たい態度」発言に見る責任転嫁と選手軽視<Number Web> photograph by JMPA

高梨のスーツ規定違反にワリエワのドーピング疑惑。2人の「不可解な涙」をはじめとして、北京五輪は最後まで話題に事欠かなかった

 《トゥトベリゼ氏は練習場を「工場」、選手を「原材料」に例える。システム化した練習で鍛え上げた選手の技術は正確無比。一方で17歳の若さで競技活動休止に追い込まれたザギトワら選手寿命の短さでも知られる。未成年のワリエワのドーピング問題では、トゥトベリゼ氏の関与の有無にも注目が集まっている。》

  さて、この記事の隣には『バッハ会長「こんな冷たい態度とれるのか」ワリエワの指導者に怒り』とありました。

 バッハ会長のこの発言には多くの人の頭に「責任転嫁」という文字が浮かんだであろう。ひと言でいうなら「お前が言うな」でしょうか。

 たとえば一般紙にはこんな記事があった。10代がいかに「興行主=IOC」に利用されているか。

『北京五輪閉幕 IOC 理念に背、選手軽視』(毎日新聞2月21日)

 IOCは収入の7割を高額な放映権料に依存しているがテレビ視聴者数は減っている。若者をつなぎ留めるためにIOCはテレビ映えするハーフパイプやビッグエアを採用した。技が高度化して選手たちはけがのリスクと隣り合わせなので「10代の若者ら選手をサポートする態勢は十分だったと言えるだろうか」と問うている。

これでいいのか? 選手軽視のオリンピック

 これは他の競技も同じではないだろうか。失格した高梨選手もそうだし、ワリエワ選手はドーピング問題で結果的に見世物にされていた。視聴率はよかったそうです。
※『フィギュア女子「フリー」平均世帯視聴率19.0% 瞬間最高視聴率は33.3%』(スポニチ2月18日)

 これでは選手軽視でカネ優先のうさん臭い興行だ。政治利用したい国がここに乗っかってくる。

 私は昨年夏の東京五輪のある記事を思い出しました。新種目に興奮するベテラン記者に注目した。

「スポーツ取材35年超」という荻島弘一記者(日刊スポーツ)がサーフィンを取材してカルチャーショックを受けたと書いていた。サーフィンの選手は他競技とはメンタリティーが違い、小さいころから金メダルを目指して厳しい練習に耐えてきた選手とは真逆だったといいます(2021年7月28日)。

  8月5日の紙面ではスケートボードに国境はない、もともと国という意識は薄いという点を書き、国際サーフィン連盟の会長の言葉で締めていた。「我々のカルチャーは変わらない。五輪が変わるんだ」。

 では今回五輪は変わったのだろうか。

 IOCが変わらないなら報道から変わるしかないと思うのですが。

 以上、2月のスポーツ新聞時評でした。

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