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小林陵侑「2本目、沙羅もすごくいいジャンプを」原田雅彦が味わったバッシング、葛西紀明も… どう絶望・悲劇を乗り越えたか

posted2022/02/10 17:00

 
小林陵侑「2本目、沙羅もすごくいいジャンプを」原田雅彦が味わったバッシング、葛西紀明も… どう絶望・悲劇を乗り越えたか<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/JMPA

ジャンプ混合団体で大ジャンプを見せた小林陵侑。傷心の高梨沙羅を気遣うコメントも残している

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NumberWeb編集部

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雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はスキージャンプにまつわる4つの言葉です。

<名言1>
今んところ、絶望しか感じられていないですね。
(小林陵侑/NumberWeb 2021年2月17日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/847022

◇解説◇
 北京五輪のスキージャンプ混合団体が、大荒れの展開となった。日本の1人目である高梨沙羅が1回目の飛躍後、スーツの規定違反によってポイントは取り消しとなった。

 その後もオーストリアやドイツ、ノルウェーといった有力国の女性ジャンパーが次々と失格。日本は最終的に4位に入賞したものの、後味の悪さが残った。高梨は8日に自身のインスタグラムを更新し、失格になったことを謝罪したが、競技の枠を超えて数多くのアスリートから励ましの声が届いている。

 そしてあのようなアクシデントがあったにもかかわらず、4位に入ったのは日本の地力があるからこそだろう。2回目を飛ぶと決意した高梨はもちろん、佐藤幸椰と伊藤有希が希望をつなぎ、そして最後を託されたノーマルヒル金メダリストの小林である。

 1回目で102.5mと相変わらずの安定感を見せると、2回目ではこの日最長不倒となる106mと、ヒルサイズ級のビッグジャンプ。最後までメダルへの可能性を持たせたという意味で、さすがの実力を見せつけた。

「沙羅もすごくいいジャンプをしていましたし」

 そんな小林は同い年で傷心の高梨を励まそうとハグするなど、優しさを見せた。

「2本目、沙羅もすごくいいジャンプをしていましたし。本当に強いなと思いました」

 このように語る小林にも、不調の時期があった。

 新型コロナウイルス禍によって2019-20シーズンは終盤で打ち切られ、W杯で3勝を挙げたものの総合連覇に届かず。さらに翌20-21シーズンは調整不足のまま冬のシーズンを迎えると、20年11月の個人第2戦で38位に終わり、3シーズンぶりに本戦2回目に進めないほどの不調だった。

 本人いわく「絶望」の時を過ごしたというが……そこから巻き返し、日本人男子最多となるW杯通算18勝を挙げるなど、総合4位に。そして北京五輪イヤーとなる21-22シーズンはスキージャンプ週間で3シーズンぶりの総合優勝、W杯でも勝利を積み重ねていった。苦しい時期を乗り越え、世界No.1ジャンパーの境地にたどり着いたのだ。

原田もトリノ五輪で失格になった経験が

<名言2>
ジャンプは自己満足の世界でもあるんです。
(原田雅彦/Number411号 1997年1月30日発売)

◇解説◇
 誰もが驚くような大ジャンプと、まさかの失敗。

 今大会の日本選手団の総監督を務める原田だが、そんな彼もまたオリンピックなどの大舞台でジェットコースターのような感情の起伏を経験している。実は2006年トリノ五輪でスキー板の長さに対して体重が200グラム足りず、失格となった苦い過去もある。

 そんな原田の競技人生を語るに欠かせないのは、1994年リレハンメル五輪と1998年長野五輪だろう。

【次ページ】 バッシングから4年後の「ふなき~」

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