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福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/02/01 11:03

福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1月29日に引退会見に臨んだのは、長らく女子短距離界を牽引してきた福島千里だ

 記録の面でも、各種目で日本記録を連発。100mは2010年に11秒21、200mは2016年に22秒88まで記録を伸ばした。両種目ともに、今なお破られていない。特に200mは、日本で23秒を切っているのは、福島ただ一人だ。

 しかし、日本記録保持者であり続ける一方で、純粋に速さを追い求め続けた福島にとって、10年以上のもの間、自身の100mの記録を更新できずにいたのは、もどかしかったことだろう。

怪我に苦しんだキャリア後半…最後まであがき続けた

 2016年のリオ五輪の後は、一度は引退も考えたという。さらに2018年以降はアキレス腱炎などのケガにも苦しみ、全盛期とはほど遠い走りが続いた。特に、本来東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は絶不調で、100mでは、自己記録どころか、一度も12秒を切れずにシーズンを終えた。高校1年生で初めて11秒台で走って以降、一度も11秒台で走れずに1年間を終えるのは、実に17年前の中学3年時以来のことだった。

「目指している目標に対して“やりたい練習”よりも“やれる練習”を選択することが多くなってきた」

 そんなもどかしさを抱えながらも、もう一度オリンピックのスタートラインに立つことを目指して、福島は諦めなかった。

 現・日本陸連強化委員長で、男子400mハードルで3度のオリンピックに出場した山崎一彦氏に指導を仰ぎ、リハビリやフィジカルトレーニングの面では、男子マラソンの大迫傑のトレーナーを務めていた五味宏生氏に指導を受けた。

 そして、昨年は2年ぶりに11秒台をマークし、日本代表選考レースの日本選手権に出場を果たすなど、最後まであがいた。結局、東京オリンピック出場は叶わなかったが、福島の最後の挑戦は多くの人の心に残った。

 福島が引退会見を行った翌日、大阪ハーフマラソンでは4大会連続でオリンピック出場を果たした福士加代子がラストレースに臨んだ。短・長ともに、世代交代は進んでおり、一時代を築いたトップアスリートが、第一線を退くことになった。

福島が身をもって見せてきた“世界への道”

 女子短距離は、兒玉芽生(福岡大)が新エースに成長。鶴田玲美(南九州ファミリーマート)や齋藤愛美(大阪成蹊大)、さらに若い石川優(青山学院大)や青山華依(甲南大)といった選手らとも切磋琢磨し合い、力を付けてきた。昨年5月の世界リレーでは女子4×100mリレーで4位に入り、昨夏の東京オリンピックの出場権だけでなく、今夏の世界選手権オレゴン大会の出場権をもすでに獲得している。

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