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長州力が極秘会談で「ドームを押さえろ!」 新日本vsUインター、“日本プロレス史上最大の団体対抗戦”が電撃開催された“本当の理由”
posted2022/02/06 06:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Essei Hara
1995年10月9日に東京ドームで行われた『激突!! 新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争』は、日本プロレス史上最大の団体対抗戦だった。
それまで犬猿の仲として知られていた新日本とUインターの全面対決が急転直下で決定、しかもメインイベントは武藤敬司vs.高田延彦という両団体のトップ同士による禁断の一騎打ち。そのインパクトは凄まじく、チケットは瞬く間に完売。当日は東京ドームに6万7000人(超満員札止め=主催者発表)のプロレスファンが集結した。これは当時のドーム観客動員新記録であり、“実券”の枚数では今も記録は破られていないと言われている。
10・9決戦がここまで大きな反響を呼んだのは、新日本とUインターの対戦が、本来“ありえないこと”だったからだ。
UWFが3派に分裂したことで'91年5月に誕生したUインターは、旗揚げ当初から業界最大手の新日本を“仮想敵”に設定。さまざまな局面で、新日本への挑戦、挑発行為を繰り返していった。
長州力「墓に糞ぶっかけてやる!」
'92年末に蝶野正洋が雑誌で「高田さんと闘ってもいい」と発言すると、その言葉を捉えて、幹部らがすぐさま新日本の事務所に対戦要望書を持ってアポなしで訪問。'93年には新日本のトップ外国人選手だったベイダーを引き抜き、'94年には優勝賞金1億円を用意したトーナメント開催をぶち上げ、新日本を含む主要5団体のエースに対し、一方的に参戦招待状を送りつけた。
これには新日本の現場監督だった長州力も「プロレス界の恥さらしだ。あいつらがくたばったら、墓に糞ぶっかけてやる!」と激怒。両団体が交わることは永久になくなったと思われた。
それが急転直下の対抗戦実現に至った背景には、両団体の財政的な問題があった。
日本武道館を毎月のように満員にするなど、表面的には好況に見えたUインターだが、その内情は常に自転車操業が続いていた。それが'94年12月、安生洋二のヒクソン・グレイシー道場破り失敗から観客動員が激減したことで、いよいよ団体存続の危機に陥っていたのである。
そして新日本も、'95年4月28、29日に北朝鮮の平壌で開催した『平和の祭典』で多額の負債を抱えたため、大きな収益が上がるビッグマッチを早急に必要としていた。それまで険悪な関係だった新日本とUインターが突如として急接近したのは、双方の利害が一致したためだった。