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長州『こいつは宇宙人か!』その瞬間、オレはドヤ顔だった…獣神サンダー・ライガーが語る「ジュニアを変えたスーパーJカップ」
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2022/01/29 11:00
団体を垣根を取り払い、ジュニアヘビー級のジャンルを確立した獣神サンダー・ライガー(2020年撮影)
「カミさんは新日本に限らず、分け隔てなくいろんな団体の試合を自分でチケット買って見に行くほどプロレスが好き。FMWやみちのくプロレスの選手の情報はカミさんの口から聞いて学びましたよ。当時はスペル・デルフィンの大ファンで、飼っている犬をデルフィンと命名していたぐらい。少なくとも獣神サンダー・ライガーのファンではなかったな(笑)。カミさんの面白い選手を探し出してくるアンテナにすっげー助けられました。当時はまだSNSやYouTubeどころか、サムライTVも開局前だったから、テレビ中継のない団体の選手の試合を見るには、会場に足を運ぶしかない時代でしたからね」
主催の新日本プロレス社内でも「ライガーに一任してみよう」との声が高まり、ライガーが正式にプロデューサーとして各団体との交渉役を任されることになった。
そうして集められたメンバーは新日本からライガー、エル・サムライ、大谷晋二郎。新日本の常連外国人選手としてワイルド・ペガサス、ディーン・マレンコ、ブラック・タイガー、ネグロ・カサス。天龍源一郎率いるWARからは冬木軍の外道(現・新日本)が出場。FMWからは海外修行中のハヤブサとリッキー・フジ、そして92年10月に旗揚げしたばかりの、みちのくプロレスからはザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィン、TAKAみちのく。谷津嘉章率いるSPWFからは茂木正淑と、5団体14選手が参加。当時、鎖国状態にあった全日本プロレスは不参加に終わった。
ハヤブサを貸し出した大仁田の先見の明
現在の視点だと「まさにオールスター」と言える豪華メンバーだが、94年当時の感覚からすると、新日本の豪華ジュニア戦士たちに、インディー戦士たちが闘いを挑むという構図でしかなかった。
ところが、いざ大会が始まると、奇跡の展開にファンが驚かされる。「不覚」にも、そんな奇跡を起こし、一夜にしてスターを誕生させたのは、当のライガーだった。
1回戦、この試合のためだけにメキシコから一時凱旋帰国したハヤブサは、入場するライガーをドロップキックで急襲すると、場外に落ちたところへコスチューム姿のまま大回転トペを敢行。この一発で大観衆のハートを掴んでしまった。敗れはしたものの「FMWにハヤブサあり」を知らしめた。
続く2回戦、ライガーは元新日本の練習生だったリッキー・フジと対戦。カナダ修行でも同じ釜の飯を食べている両者は、互いの原点を確かめ合うような攻防の末、最後はライガーが雪崩式フランケンシュタイナーで勝利した。
「普通、凱旋帰国第1戦って自分の団体でやるものだけど、あえて新日本の興行にハヤブサを貸し出してきたあたりに大仁田さん(当時はFMW社長)の懐の深さ、先見の明を感じました。交渉段階で『こういう選手がいるんだけど、どう?』って言われて、こっちが面食らったほど。入場時の大回転トペは、まさに『一本取られた』という感じで受け身が取れなかったよ」