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長州『こいつは宇宙人か!』その瞬間、オレはドヤ顔だった…獣神サンダー・ライガーが語る「ジュニアを変えたスーパーJカップ」
posted2022/01/29 11:00
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
Ichisei Hiramatsu
現代プロレスは観客をハッピーにさせることが「是」とされる傾向にある。そんな多幸感こそが「次もまた観に来よう」という集客&人気にもつながる。健全な考えだ。
実は昭和時代のプロレスに多幸感は薄かった。それよりもハラハラやドキドキ、怒りこそが重要視された。ゴールデンタイムのテレビ中継で毎週、人気ドラマやバラエティ番組と視聴率戦争を繰り広げていた事情もあり、視聴者やお客さんを「満足」させることよりも「来週は一体どうなる?」という継続性こそが優先された。
幸か不幸か? 多くの団体がテレビ中継と無関係となった平成マット界が、観客をハッピーにさせる方向へと舵を切ったのは必然だった。今号のテーマは「ベストバウト」だが、今もなおエポックメイキング的な意味も込めて「ベスト興行」と語り継がれるのが、ともに両国国技館で行われた1994年の『第1回スーパーJカップ』と翌年の『第2回スーパーJカップ』だ。
「面白いモンは面白いんだよ」
「団体の大小なんてどうでもいいじゃん。いい選手はいいし、面白いモンは面白いんだよ」を信条とする獣神サンダー・ライガー(今年1月に引退)が大会プロデューサーに就任。国や団体の枠を越えてスター選手が集結するオールスター戦的要素と、一夜のトーナメントで優勝者を決める勝負論が見事にブレンドされた大会だった。
ジュニア戦士によるオールスター戦という骨子はあったが、それを実現させるには想像以上の困難が伴う。20世紀後半はまだまだ馬場と猪木の両巨頭が業界に睨みを利かせていた時代。猪木・新日本と馬場・全日本の冷戦構造も健在であり、さらには大仁田厚率いるFMWなどインディー団体に対しての「同じプロレスと扱ってもらっては困る」という差別意識も根強かった。
他団体との交渉前、人選に頭を悩ますライガーを助けた意外な軍師がいた。それは本職のライガー以上にプロレスに精通すると噂される千景夫人だった。