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オシムが阿部勇樹に伝えた「指導者になることを意識しながら、プレーを」 引退までの4年間、たどり着いたラストミッション 

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塩畑大輔

塩畑大輔Daisuke Shiohata

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photograph byDaisuke Shiohata

posted2022/01/21 17:00

オシムが阿部勇樹に伝えた「指導者になることを意識しながら、プレーを」 引退までの4年間、たどり着いたラストミッション<Number Web> photograph by Daisuke Shiohata

2017年、オシムさんのもとを訪れた際の阿部勇樹

 オレのせいかもしれない。

 失点しなければ。優勝できていれば。

 そうやって、阿部は自分を責めることもあった。

 埋め合わせになるとは、決して思わない。

 でもアジアで勝ったことを、ほかでもないオシムさんが喜んでくれた。それは救いだった。

 このひとが喜んでくれるようなニュースを、もっと届けたい。選手として届けられる時間を、大事にしなければならない。阿部はよりストイックに、試合への準備をするようになった。

ナイトゲーム後の深夜1時、阿部はクラブハウスにいた

 強化担当・水上さんは意外な形で、それを知ることになった。ある試合翌日の朝。若いチームスタッフが眠い目をこすっているのに気がついた。話を聞くと、深夜1時までクラブハウスにいたのだという。

 ナイトゲームを終えた阿部が戻ってきて、交代浴などのケアを続けていたため、それに立ち会っていたそうだ。

「さすがにそれは大変だ。阿部にはオレから言っておくよ」

 そう申し出たが、そのスタッフに止められた。

「自分なら平気なんで、変えずに続けてほしいです。むしろ心を打たれたので。あそこまで徹底してやるんだなと」

 水上さんはしみじみと振り返る。

「そのチームスタッフも大変なんですよ。試合後の用具の片付けもあれば、翌日は試合に出ていない選手たちの練習の準備を早朝から始めなくちゃいけないし」

「そんな彼らに『自分は平気』と言わせるのは、それだけ阿部の取り組みぶりがすごい、ということなんだと思います」

いつ引退してもおかしくない中で

「あの年にサラエボに行って、オシムさんに会ったからこそ、そこから4年間現役を続けられたところもあると思っています」

 2021年。

 引退を決めた阿部は、そう振り返った。選手の立場でしかできないことはある。恩師との再会は、現役を続ける新たなモチベーションを得る機会にもなった。だが一方で、ベテランを取り巻く状況は、刻一刻と変わっていった。2018年シーズンが始まってしばらくすると、浦和レッズは新監督としてオズワルド・オリベイラ氏を招いた。

 そのころから、阿部が先発出場する機会は、大幅に減った。

 翌2019年以降はケガも相まって、ピッチを遠ざかる時間がさらに長くなった。全体練習が始まる前の、早朝の大原サッカー場。誰もいないピッチで、黙々とリハビリを続ける日々。心が折れても仕方のない状況だった。

 周囲も「いつ引退してもおかしくない」とみていた。だが阿部は、現役を続ける道を選んだ。いったい、なぜなのか。

「それはやっぱり、やりたいことがあったからです」

 そう言って、阿部は思い出を語り始めた。それは2011年、当時イングランド2部のレスター・シティでプレーしていた当時の話だった。<第2回に続く>

#2に続く阿部勇樹は10年前「プレミア名門のオファー」を断っていた… あえて《J2降格寸前だった浦和レッズ復帰》を選んだ真相

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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