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オシムが阿部勇樹に伝えた「指導者になることを意識しながら、プレーを」 引退までの4年間、たどり着いたラストミッション
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byDaisuke Shiohata
posted2022/01/21 17:00
2017年、オシムさんのもとを訪れた際の阿部勇樹
その14時間ほど前。ドーハ国際空港のコンコース。バーカウンターでひとり、阿部は赤ワインを傾けていた。
「ホッとしました。とりあえず、よかった」
誰にともなく、ポツリと言う。オシムさん相手に気を張っていた、というだけではない。阿部はサラエボを訪れるにあたって、ある「使命」を自分に課していた。日本を出発する際には、こう言った。
「同世代のみんなを代表して、今回はオシムさんの話を聞きに行きます」
「何かというと谷間、谷間と言われて」
同世代。
この3文字をずっと、強く意識してきた。1981年生まれ。すぐ上には、1999年のワールドユースで準優勝した「黄金世代」がいた。彼らに比べ、成果を挙げられなかった阿部たちは「谷間の世代」という不名誉な代名詞をつけられた。
「何かというと谷間、谷間と言われて……ただ、だからこそ仲間意識が強まったところもある気がして。どこかのチームで同世代が結果を出したりすると、みんなで喜んで、自分も頑張ろうとなっていました」
「他の世代でもそういうことはあるかもしれませんが、僕らの世代はそういう気持ちがさらに強かったように思います」
2010年、W杯南アフリカ大会。阿部は川島永嗣、駒野友一、田中マルクス闘莉王、大久保嘉人ら同世代とともに日本代表の中核をなし、チームを決勝トーナメントに導いた。
そこからさらに年月が流れた。阿部とアテネ世代は36歳になっていた。
「同世代の選手たちが、次々と引退していっている。今後指導者を目指す人は、オシムさんの教えを聞きたがっているはず。今回はそういうみんなを代表して聞きに行く、という意識があります」
「指導者になることを意識しながら、プレーを」
オシムさん本人も、阿部が何を聞きたがっているのかを察していた。阿部が何かを聞くよりも先に「お前はいつ、指導者になるんだ」と切り出した。
「いずれにしても、ここから先は指導者になることを意識しながら、プレーをしたほうがいい」
そして丁寧に、言葉を尽くして、サッカー指導者としてあるべき姿を説いた。阿部は深く、何度もうなずいていた。
同世代を代表しての「使命」は果たせた。あとは、オシムさんの考えをきちんと伝えていけばいい。帰路のドーハ国際空港では、同行した記者に「ホッとした」とこぼしてもいた。プロ意識が強い阿部が「ホッとした」と打ち明けるのは、非常に珍しかった。
「もう、気持ちが指導者転身、つまり現役引退に向かってしまっているのだろうか」と思わせるものがあった。
だが、帰国便を降りた阿部の表情は、一変していた。