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ボクシングPRESSBACK NUMBER
「家族がいなかったら死んでいた」IBF世界王者・尾川堅一が語る“薬物陽性”から復活した“ニューヨークの夜”
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGetty Images
posted2022/01/23 11:01
昨年11月27日、アジンガ・フジレ(南アフリカ)に3-0の判定で勝利し、IBF世界スーパーフェザー級王者となった尾川堅一
プレッシャーを掛けて相手を下がらせ、スピーディーかつハードなパンチを当てていく作戦をスタートから実践していこうとする。
「最初に相手が僕のパンチを受けたときに、表情が変わったというか。これはペースを握れるなと思いましたね」
1ラウンド、ハーフタイム付近だった。踏み込んだタイミングでフジレが右フックを放ち、腕で首を払われるような形でロープまで飛ばされた場面があった。
「何千本と突いてきたパンチが、あの大一番で出ました」
ヒヤリとしたわけではなく、むしろ尾川は心のなかでニヤリとした。
「パンチを当てられたら嫌ですけど、そうじゃない。あそこまで(相手の中に)入れているから腕が当たる。つまり僕のスピードのほうが速いんだなって確信を持つことができました」
パンチとスピードの違いを見せつけて威圧を与える第一段階はまず成功した。
手数自体は少なく、2ラウンドにはフジレの左ストレートを顔面にもらっている。だが左の威力はさほどでもなく、警戒するのはやはり右フックだと感じ取った。その右フックを打たれたとしても、自分のスピードのほうに分はある。ならば自分の得意とする右ストレートを合わせるのみだ。
5ラウンドだった。
残り1分20秒強、鋭い踏み込みの“ワン”でカウンターを狙うフジレの右フックを誘い出し、がら空きになったアゴを“ツー”の右ストレートで射抜いた。フジレはヨロヨロと下がりしゃがみ込んだ。
体に染み込ませてきたパターンだ。
「スパーリングパートナーがフジレのように右フックをやってくれていて、調子がいいときには(右を)何度か当てられた。サンドバッグでも(イメージして)かなりやり込んできました。だからあのときも、せーので迷うことなく一気に行ったらドンピシャでした。練習は嘘をつかない。これまで何百本、何千本と突いてきたパンチが、あの大一番で出ました」
手応えが逆にありすぎたために、立ち上がってくるのも想定どおり。フジレは体が柔らかく、パンチのダメージを受け流す術があった。