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「家族がいなかったら死んでいた」IBF世界王者・尾川堅一が語る“薬物陽性”から復活した“ニューヨークの夜” 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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posted2022/01/23 11:01

「家族がいなかったら死んでいた」IBF世界王者・尾川堅一が語る“薬物陽性”から復活した“ニューヨークの夜”<Number Web> photograph by Getty Images

昨年11月27日、アジンガ・フジレ(南アフリカ)に3-0の判定で勝利し、IBF世界スーパーフェザー級王者となった尾川堅一

無理に深追いすることはやめた

 無理に深追いすることはやめた。

 2015年12月、日本王者の内藤律樹に挑戦した際、初回に右でダウンを奪いながらも仕留め切れずに5回負傷判定勝ちで新王者になった経験がそうさせた。

「ダウンを取って、あの後で行きすぎてバテてしまった。だから今回ダウンを取っても、行きすぎないようにイメージしていました。あくまで自分のペースを大事にしていこう、と。判定でもいいからとにかく勝ってベルトを手にすることが目的ですから」

 中盤からは柔らかい動きの相手にリードジャブが面白いほどに当たるようになる。徐々にフジレを弱らせていく。

恐ろしいくらいに冷静に、己のプランをやり遂げた

 最終12ラウンド、再び“クラッシュライト”が火を噴いて2度目のダウンを奪う。終盤にはもう一つダウンシーンを追加。恐ろしいくらいに冷静に、己のプランをやり遂げた。

 だが「最終ラウンドはクソ疲れていた」と告白する。最高のコンディションに仕上げながらもキャンセルになった8月から比べれば必ずしも良かったわけではなかった。それにニューヨークに入ってからずっと眠れない日々も続いていた。100%勝たなければならないプレッシャーものし掛かった。

「後で映像を見て気づいたんですけど、12ラウンドは声を出しながらパンチを打っているんです。初めてのことでした。それでも最後までストレートにキレはあったし、スピード勝負で上回って最後のラウンドで2度倒せた。自信になった試合ではありました」

 5ポイント差2人、3ポイント差1人の3-0判定勝利。4年前に取り上げられたベルトをようやく取り戻すことができた。緑でも黒でもない、この赤いベルトでなければ意味がなかった。

 控え室に戻ると、日本で応援してくれていた家族に電話を掛けた。

 苦労を掛けてきた妻は「良かったね」と何度も、何度も言ってくれた。そして電話越しに2人で泣いた。子供たちの歓喜の声がそれを優しく消していた。

 とはいえドーピング検査の結果を知らされるまでは喜べなかった。前回のことがあるために「眠れなかった」という。この4年間、ドーピングについては自分でも勉強して細心の注意を払ってきた。出るわけはないと思っていても、トラウマとして消えていない。陰性が伝えられた瞬間に、お祝いメールへの返信を始めた。

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