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格闘技PRESSBACK NUMBER
「何度も無理だと思った」那須川天心vs武尊はなぜ実現した?「キック卒業を伸ばせないか」榊原信行の提案に“神童”の答えは…
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2022/01/16 17:03
昨年12月24日、金屏風を背に行われた那須川天心vs武尊の発表会見は、格闘技界にポジティブな驚きをもたらした
しかし、なぜまったく新しいイベントが必要だったかといえば、武尊本人を含めたK-1サイドが「RIZINではない中立のリング」での開催を絶対条件として要求していたからにほかならない。第三者の目線からすれば、那須川のホームはRISEであり、RIZINは中立の舞台ではないのかという見方もできる。榊原も「僕らもそういう意識だった」と打ち明ける。
「でも、K-1さんの認識は違っていた。『RIZINさんも圧倒的に天心選手の舞台じゃないですか』という見方だった。僕らRIZINはフェデレーションだから中立な舞台として、他団体の契約下でも出てもらっている。そうすることで垣根を越えた夢のマッチメークをぶちあげている。でも、この5年の流れを見ていると、やっぱりK-1から見ると、RIZIN=天心=RISEだったんだと思う」
両陣営との交渉が続けられるなかで、那須川はコンディション調整に励んでいた。一方の武尊も意気込んでいたが、3月28日のレオナ・ペタスとの試合でケガを負ってしまい、6月の天心戦は不可能になってしまった。
夢の一騎討ちが実現しないのであれば、新しいイベントをやる意味はない。結局、この日は『RIZIN.28』が開催され、対戦相手が決まらなかった那須川は大崎孔稀、HIROYA、所英男を相手に、ボクシングに準じたルールによる異例の3人掛けを行った。
水面下で進んでいた“ふたつのプロジェクト”
その後、どのような過程を経て、今年6月開催にまでこぎ着けたのだろうか。榊原が明かした“ふたつのプロジェクト”は意外なものだった。まずはA案を語ってもらおう。
「武尊選手は年末に天心戦を実現できればということで、12月31日のRIZINとは日程をズラして行う計画がありました」
そこで榊原は「大晦日は予定通り『RIZIN.33』を開催し、別の日程でこのビッグマッチを行なおう」という青写真を描く。
「29日にさいたまスーパーアリーナで天心vs武尊をやり、1日間隔を置いて、同じ場所でRIZINをやる。もっというと、29日には那須川vs武尊とは別にBellatorをやる計画もあり、堀口恭司が戻ってくる予定だった」