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《現役馬が急死》ワグネリアンの未来を奪った“内臓疾患”はなぜ競走馬にとって危険なのか?「ホースマンは常にリスクに向き合っている」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2022/01/07 17:03

《現役馬が急死》ワグネリアンの未来を奪った“内臓疾患”はなぜ競走馬にとって危険なのか?「ホースマンは常にリスクに向き合っている」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

福永祐一とともに、2018年の日本ダービーを制したワグネリアン

福永「自分の人生を変えてくれた、特別な馬」

 ワグネリアンは、父ディープインパクト、母ミスアンコール、母の父キングカメハメハという血統。ノーザンファームの生産で、馬主は金子真人ホールディングス。栗東・友道康夫調教師が管理した。

 主戦の福永祐一を背に17年の新馬戦、野路菊ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークスと3連勝。18年の弥生賞では2着、1番人気に支持された皐月賞では7着に敗れたが、5月27日の第85回日本ダービーでは好位から抜け出して優勝。福永は19度目の挑戦にしてついにダービージョッキーとなった。

 鞍上の福永も、検量室前で彼を迎えた友道調教師も、これが4度目のダービー制覇であった金子オーナーも泣いていた。

「父が一番勝ちたかったレースはダービーでした。ぼくは、父の名前でこの世界に入ってきました。今日は、福永洋一の息子として誇れる仕事ができたと思います」

 レース後、福永はそう語った。父・洋一氏は、デビュー3年目の1970年から9年連続リーディングジョッキーとなるも、30歳だった79年、落馬事故のため引退。ダービーを勝てぬまま鞭を置いた。

 その悲願をともに果たしたパートナーの死に対し、福永は「自分の人生を変えてくれた、特別な馬です」とコメントした。

 初勝利までの最多騎乗タイ記録でダービーを制した福永は、2年後の20年にコントレイル、21年にはシャフリヤールと、4年で3度もダービーを制すという離れ業をやってのける名手となった。ワグネリアンが、福永をさらに大きくした。

 ダービーの次走、神戸新聞杯が最後の勝利となったが、19年の大阪杯とジャパンカップで僅差の3着となるなど、力のあるところを見せた。

ワグネリアンは競馬ファンにとっても“特別な馬”だった

 現役時代に世を去ったダービー馬は、1935年に3戦3勝でダービーを制するも、翌月骨折して予後不良となったガヴァナー、1937年にダービーを制したのち、いったん繁殖牝馬となってから終戦後に現役に復帰したヒサトモ、1940年のダービー優勝後脳膜炎を患ったイエリユウ、1951年に10戦10勝で皐月賞、ダービーの二冠を制するも、破傷風に伴う敗血症で死亡した「幻の馬」トキノミノル、1965年にダービーを制した2年後のレース中に骨折したキーストンなどがいる。

 17戦5勝というキャリアを走り切ったワグネリアン。福永にとってのみならず、私たちにとっても特別な馬だった。

 天国で、安らかに眠ってほしい。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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