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シャビの下でバルサは失われた「クライフ哲学」を取り戻せるか? 「ウイングの再興」こそが復活のキーワードに
posted2021/12/30 17:04
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
Getty Images
「バルセロナのサッカー」として知られるプレースタイルの礎を築いたのは、オランダが世界に誇る名手ヨハン・クライフである。
戦術の理解と解釈においても天賦の才を持ち合わせた彼は、1988年夏にバルサの監督に就任すると、20世紀の前半にイングランドからアヤックスに持ち込まれて進化を果たしたポジショナルプレーの本質を、トップチームだけでなくクラブ全体に植えつけた。
左サイドいっぱいに開いたチキは褒められた
特徴的だったのは、サイドの使い方だ。
クライフは両ウイングを重視した。布陣においては、立ち位置に厳格だった。
こんな逸話がある。クライフ時代が幕を開けた直後のプレシーズンのことだ。
レアル・ソシエダから加入したばかりのチキ・ベギリスタイン(現マンチェスター・シティのスポーツディレクター)は、ある練習試合でチャンスを与えられたが、ほとんどボールに触れられず、自分の持ち味をアピールできなかったため消沈していた。
ところが、クライフには褒められた。左サイドいっぱいに開いていろという指示を守り続けたからだ。
昨季までバルサのBチームを率いていたガルシア・ピミエンタは当時、下部組織であるカンテラでウイングとして活躍していた。そのため、クライフ改革の強烈なインパクトを体験している。
「練習内容からプレースタイルまで、クラブの全カテゴリーのすべてが変わった。陣形は3-4-3が基準となったが、ディフェンスラインは現在のようなCBが3人ではなく、CBは1人で、頻繁に攻め上がるSBが2人だった。つまり、真のCB以外の全員で攻撃を仕掛けるわけだから、ウイングのポジショニングはとても重要になった」
クライフは計20人もの選手をサイドに置いた
指示を守ったチキのように、バルサの両ウイングは常にライン際に立って、相手のSBを引き付けなければならない。そうすることで、ピッチ中央の4人と駆け上がるSBに、より有利な状況を作ることができるのだ。
「ボールを失ったときは守備への切り替えが大変だったけれど、まったく新しい形だった。その後、陣形は4-3-3に変化したが、ウイングを重視する考え方はあの頃のままだ」
1996年の5月に解任されるまでの8シーズンで、クライフは計20人もの選手をサイドに置いた。そして彼の直弟子であるグアルディオラは、2008年から12年までの4シーズンで計21人を使った。
ウイングは、バルサのサッカーに不可欠であることを改めて示す数字である。