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JRA初の女性騎手・細江純子が告白する“現役生活5年間”の苦悩「ウワサ話が怖くて…」「相談しただけで恋愛関係だと誤解された」
text by
音部美穂Miho Otobe
photograph byKeiji Ishikawa
posted2021/12/24 11:02
JRA初の女性ジョッキーとして活動した当時を振り返った細江純子
「女子3人で仲良く励まし合う余裕は全くなかった」
競馬学校の同期には、細江ら3名の女性騎手の他、今も現役騎手として活躍する福永祐一や和田竜二などが在籍しており、「花の12期生」と称された。
実は、一つ上の11期生にも、女性の生徒が3人いた。しかし、3人ともデビューすることなく、学校から去っている。それもあって、なんとか女性騎手をデビューさせたいというJRAの思いはひしひしと感じたそうだ。
3月のデビューから2週間後、3人の中で一番早く初勝利をあげたのは、牧原。その翌週に田村が続き、細江は5月に入ってからようやくレゾンデートルで初勝利を飾った。
「2人は乗馬経験も豊富で、競馬学校時代から私よりもずっと上手でした。私は最年長だったのに、一番焦りがあったかもしれません。女子3人で仲良く励まし合って……みたいな余裕はまったくなかったですね」
女性騎手が落馬すると、誇張された噂が広がる
どんな世界であっても「女性初」は、大きな注目を集める。当然、細江ら3人の動向にも、たくさんの眼差しが注がれた。「やっぱり女性じゃ、力がなくて馬を抑えられないね」などという言葉をかけられたことも一度や二度ではなかったという。かといって、「だったらもっと頑張ってやる!」と自分を鼓舞できるような精神状態でもなかった。
「正直なところ、自分を客観視できる状況ではなかったんです。常に注目されていて、無言のジャッジを受けているような感じがしていた。たとえば、新人の男性騎手が落馬してもたいして話題にならないけれど、女性の場合は噂が広がって1回の落馬が10回ぐらいにとらえられてしまう。だからウワサ話が怖くて、とにかく目立ってはいけないと思っていました。
女性初だからこそ取材のオファーも多かったけれど、たいした成績をあげていないのに取材を受けたら『女だからといってチヤホヤされやがって』って思われるんじゃないかと気になってしかたなかった。だからといって取材を断ると、生意気だと受け取られてしまって……。何が正解なのか分からず、一人で悶々と悩み続けていました。常におどおどして下を向いて歩き、泣いてばかりいた気がします」
「恋愛関係なんじゃないかと誤解された」
当時の競馬界は、騎手だけでなく調教師や厩務員もほとんどが男性という圧倒的な男社会。女性である自分の悩みを相談できる相手もいなかったということなのだろうか。
「いえ、親身になって相談に乗ってくれる人もいたんですが、親しくしていると恋愛関係なんじゃないかと誤解されたり。それで相手に迷惑をかけるのが心苦しくて、なかなか相談できなくなってしまって……。ただ、これは競馬界に限ったことではないのでしょうね。様々な業界の女性と話していると、政界をはじめ女性が少数派の世界は似たようなことがあると感じます」
新人騎手の1日は忙しい。朝は調教に行き、午後は厩舎を回って顔を売り、トレーニングに勤しむなど、騎乗の機会を増やすため日々、研鑽を積む。しかし、当時の細江は、誰にも会いたくなくて調教の時以外は部屋に引きこもっていた時期もあったそうだ。
「週末は、レースの騎乗依頼があれば乗れるけれど、なければ朝の調教をするだけ。騎手免許は持っていても、週末競馬場に行けないという日々もたくさんあり、それはジョッキーとしてはつらいことでした。すでに同期の福永君や和田君は華々しく活躍していましたが、もう別の世界のことになっていました」