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ストイコビッチの「NATO空爆抗議」を思い出す… “日本でプロ選手”になったミャンマー難民GKがブチ当たる苦悩とは
posted2021/12/19 17:00
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph by
Kentaro Takahashi
ゴールの後ろからシャッターを切る報道陣からは、口には出さずとも「肩すかしだな」という表情が見て取れた。
2021年10月8日、夏の中断期間を経て再開されたF1リーグ公式戦のY.S.C.C.横浜(以下YS横浜)対湘南ベルマーレ戦のアリーナである。ホームの横浜には、8月に共同入団記者会見を行った2つの「目玉」があった。
ひとりは言うまでもなくサッカー元日本代表の松井大輔。その華麗なプレーから「ル・マンの太陽」と地元サポーターから称賛されたフランスを皮切りにロシア、ブルガリア、ポーランド、ベトナムと渡り歩いた松井はフットサルへの参戦を宣言していた。豊富な海外体験から繰り出されるプレーは日本のフットサル界に何をもたらすのか、松井の加入によってFリーグ全体にも注目が集まっていた。
そしてもうひとりが、軍事クーデターに抗議し、無辜な市民を虐殺し続ける独裁政権への不服従を表明して、日本に残ることを余儀なくされたミャンマー代表のGKピエリアンアウン(以下ピエリアン)であった。
政治亡命者である認定難民のアスリートがプロ登録されたのは日本スポーツ史の中では初めてのことであり、松井とともにそのデビュー戦を取材しようとして、外報部や社会部の記者も横浜武道館に現れた。
現在、YS横浜の先発GKは田淵ラファエル広史、通称ラファである。サンパウロ生まれの日系ブラジル人三世のラファは16歳のときに来日して以来、苦労して日本語を覚えながら、プレーを続け、U20日本代表に選出されるまでに成長した努力の人である。抜群の存在感と厚い人望から先発レギュラーの座を不動のものにしていたラファに代わってピエリアンが先発する可能性は低いが、ホームでのお披露目的な意味合いでサブとしての出番があるのではないか、と目されていた。
クーデター以降は満足にトレーニングすらできず
しかし、その姿はベンチにさえ無かった。
ミャンマー代表としてのポテンシャルの高さは評価されつつもコンディションが上がらず、メンバーから外されていたのである。広報によれば、直前の練習試合で4失点したという。フィジカルが上がっていないことも露見した。
軍事クーデターが起こったのは代表合宿中だった2月1日で、憂国のGKはこの日以来、YS横浜入団までトレーニングらしいものを一切していなかった。
W杯予選で5月に来日したわけだが、これは軍事政権傘下のミャンマーサッカー協会が、対外的に正当国家としてプロパガンダをするために、半ば無理やり連れて来られたに過ぎず、身体は出来ていなかった(キューバ出身のメジャーリーガーよろしく豊かな国でのプレーを望んで、満を持しての亡命ではなかったことがこれからも分かる)。
半年のブランクに加え、環境の劇的な変化も大きかった。