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M-1審査員9回目、上沼恵美子66歳が“引退した日”「結婚したらやめる…」中学2年で芸能界入りした“伝説”、上沼はどんな漫才師だった?

posted2021/12/19 11:04

 
M-1審査員9回目、上沼恵美子66歳が“引退した日”「結婚したらやめる…」中学2年で芸能界入りした“伝説”、上沼はどんな漫才師だった?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

上沼恵美子66歳、今年9回目のM-1審査員を務める。中学2年で芸能界入りした上沼はどんな漫才師だったのか?

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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Sankei Shimbun

 漫才日本一を決めるM-1グランプリ(きょう決勝が行われる)では、今年も審査員のメンバーに上沼恵美子が入った。上沼が初めてM-1で審査員を務めたのは2007年の第7回。このとき最終決戦で彼女が1票を投じたサンドウィッチマンが優勝している。以来、審査員歴は通算9回を数える。

 本人が語ったところによれば、当初、M-1の審査員になるのはあまり気が進まなかったが、そのころ審査委員長だった島田紳助に「どうしても」と頼まれて引き受けたという(『文藝春秋』2021年8月号)。3年続けて一旦はやめるが、その後、ダウンタウンの松本人志に強く請われる形で2016年に復帰、現在にいたっている。

上沼恵美子は“中学2年”で芸能界入りした

 上沼はかつて姉とともに海原千里・万里というコンビを組んで人気を博した(上沼が千里)。もっとも、それは1970年代前半のことだから、漫才師時代の彼女をリアルタイムで見たのは、もはや50代以上だろう。

 1955年生まれの上沼は、1956年の早生まれの島田紳助とは同年代ながら、キャリアでは5年先輩にあたる。何しろ芸能界入りは中学2年のときと早い。

 もともとは歌手志望で、子供のころは各地ののど自慢大会を荒らしまわっていた。当時のライバルには少女歌手としてデビューした天童よしみがおり、フジテレビの番組では上沼が16回目のチャンピオンとなるも、グランドチャンピオン大会で天童に負けたという。歌唱力の高さは、海原千里・万里としてリリースし、20万枚以上を売り上げる大ヒットとなった「大阪ラプソディー」を聴けば納得できる。

 芸能界入りを勧めたのは父親である。父は銀行員だったが、昔から芸事が好きで、2人の娘が大きくなると家族で楽団をつくって、地元・淡路島の老人ホームを慰問で訪ねるようになった。上沼は歌、姉の万里はバレエを披露してお年寄りたちを喜ばせる。これに気をよくした父は、2人を漫才師にすると決め、漫才作家の秋田實に手紙を出して弟子入りを頼んだところ、海原お浜・小浜を紹介された。こうして姉妹は1969年、大阪に出て入門する。

「海原千里・万里はいままでの女漫才とだいぶ違う」

 1973年にはNHKの上方漫才コンテストで最優秀新人敢闘賞を受賞し、このあたりから売れ始める。人気は関西にとどまらず全国に広がり、ファンレターが殺到した。

 2人の漫才は互い違いにボケとツッコミを演じるという形がとられた。一本の漫才にはさまざまなネタが詰め込まれ、妹の千里が姉の万里をいじったかと思えば、モノマネや歌、絶妙な間でのノリツッコミなどが、次から次へとテンポよく繰り出される。当時としてみれば新鮮だっただろう。

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