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<3日徹夜に始まった挑戦>「過去に経験のない厳しい現実…」30年ぶり栄冠のホンダF1エンジニアが人目を憚らず涙に濡れたワケ 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2021/12/15 17:03

<3日徹夜に始まった挑戦>「過去に経験のない厳しい現実…」30年ぶり栄冠のホンダF1エンジニアが人目を憚らず涙に濡れたワケ<Number Web> photograph by Masahiro Owari

男泣きで抱擁を交わす田辺TD(右)と本橋CE。第4期の最前線で苦労してきた二人だ

 ホンダのエンジニアはテスト前日の準備日も含めて3日間ホテルに帰ることができず、サーキットで不眠不休で作業を続けた。最終日にはフラフラで立っていられない状態だったという伝説のテストだ。

 そのテストに参加し、ラストレースにも参加した唯一のエンジニアが森秀臣だ。森は最終戦ではアルファタウリでピエール・ガスリーの担当PUエンジニアを務めていた。その森がテスト当時のことを振り返る。

「苦しい状況でも(フェルナンド・)アロンソをはじめマクラーレンのスタッフが自分を信頼してくれ、きちんとコミュニケーションをとれました。成績よりも、そういう人間関係をきちんと築けたのは思い出でもあるし、財産となっています」

 そのアロンソはホンダのラストランのスタート前、山本雅史マネージングディレクターを「絶対チャンピオンを取れ」と激励していた。そして、その言葉通りチャンピオンに輝くと、パルクフェルメにいた山本に近づいていき、フェンス越しに「おめでとう」と祝福していた。

レースは技術者にとって最高の教育の場

 現場で仕事をしてきたホンダのスタッフとの記念撮影を終えた田辺は、最後にこう語った。

「会社としてのF1参戦はこの一戦で休止という形で終了となります。ただ、いままでF1活動をやらせていただいた私の経験から言わせてもらうと、F1はエンジニアの教育の面で有効なプロジェクトだと思ってます。F1をやっていた人たちが量産に行き、交わることで、ほかの部署の人たちにとっても刺激になっていい効果を生んできました。

 ホンダは昔から『F1は走る実験室』だと言ってきましたが、レースは技術者にとって最高の教育の場です。今回のハイブリッド時代でも、われわれは新しい燃焼システムや、航空部門の知見を生かしたターボや、バッテリー技術を新たに開発してきました。私はこれで終わりとなりますが、次の世代のメンバーが今回の経験も踏まえて、若いエンジニアにチャンスを与えてほしい。海外へ挑戦する、海外のエンジニアとせめぎ合うことは貴重な経験になると思います」

 ホンダがいつの日かF1に再挑戦することを願っているのは、私だけではない。

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