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<3日徹夜に始まった挑戦>「過去に経験のない厳しい現実…」30年ぶり栄冠のホンダF1エンジニアが人目を憚らず涙に濡れたワケ 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2021/12/15 17:03

<3日徹夜に始まった挑戦>「過去に経験のない厳しい現実…」30年ぶり栄冠のホンダF1エンジニアが人目を憚らず涙に濡れたワケ<Number Web> photograph by Masahiro Owari

男泣きで抱擁を交わす田辺TD(右)と本橋CE。第4期の最前線で苦労してきた二人だ

「結果的に1番になれなかったとしても、1番を目指して本気でやったのなら、それは確実に肥やしになる。今回のF1活動ではみんなが本当に勝ちにこだわってやってきました。これでホンダがF1参戦を終了しても、その努力とこだわりはホンダで働いていく上で非常に貴重な経験になるはずです。だから、タイトルを獲れなかったとしても、この経験は将来に生きたはずだと確信しています」

 田辺に抱きしめられた本橋も泣いていた。本橋はホンダの第3期F1活動時代にも参画していて、当時ジェンソン・バトンの担当エンジニアだった田辺の下で一緒に仕事した仲だった。田辺が18年からテクニカルディレクターとしてF1に復帰したとき、現場の副テクニカルディレクターに抜擢されたのが本橋だった。19年にホンダがトロロッソ(現在のアルファタウリ)だけでなく、レッドブルにもパワーユニットの供給を開始すると、田辺はトロロッソ側とレッドブル側の双方を統括する立場となり、本橋がトロロッソ側のチーフエンジニアを任された。

「田辺さんからはたくさんのことを教わってきましたが、トロロッソのチーフエンジニアになってチームと直接やり合うようになってはじめて、田辺さんがいろんなところで苦労していたことを知りました。田辺さんがいたからここまでやって来れたと思います」

 さらに本橋はこう続ける。

「田辺さんは第2期のころチャンピオンを経験していますが、いまは立場が違うし、背負っているものの大きさが違います。しかも、F1プロジェクトに入ってきた18年以前はアメリカでインディをやっていたので、15年以前からF1プロジェクトで仕事していた私たちに追いつこうと一生懸命パワーユニットのことを学んでいました。その姿を見ていたので、本当にお疲れ様でしたと言いたいです」

ボロボロのスタートだった第4期

 タイトル決定の場がアブダビだったことも感慨深かった。復帰直前の14年、ホンダが新しいパワーユニットをマクラーレンのマシンに搭載し、初めて公式合同テストに参加したのがこのアブダビであり、そのアブダビ・テストはトラブルに次ぐトラブルの連続だったからだ。

【次ページ】 レースは技術者にとって最高の教育の場

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