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格闘技PRESSBACK NUMBER
最強のプロレスラー・桜庭和志はなぜ試合中に微笑んだのか…「格闘技史に残る一枚」のカメラマンが語る“グレイシー狩り”の衝撃
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2021/12/04 17:02
ホイス・グレイシーと死闘を繰り広げながら、なぜか「ニヤリ」と微笑んだ桜庭和志。飄々としてとらえどころのない強者の余裕が漂っていた
普段の桜庭はリング上の姿とは違い、非常にシャイで人見知りをする性格のようだ。私も挨拶程度の言葉しか交わしたことがないが、桜庭と志村けんさんの対談を撮影したことがある。志村さんも桜庭と同じようにシャイな性格と聞いて、対談が始まる前までは不安だった。しかし、ふたりともさすがはプロフェッショナル。最初こそお互いに照れた感じでボソボソと話をしていたが、途中からは会話がはずみ、最後はこちらの無理なポーズの要求にも応えてくれた。今となってはよい思い出である。
「折れ、折れ!」グレイシーを越えた瞬間の熱狂
桜庭は1998年3月の「PRIDE.2」でデビューすると、2001年3月の「PRIDE.13」まで無差別級のトーナメントも合わせて14試合を戦った。同期間中は11勝2敗1分けという、驚異的な成績である。彼はPRIDEを代表する選手になり、日本のエースとして、揺るぎない地位を確立した。その中でもグレイシー一族との対戦はいまでも伝説で、世界中に蔓延していたグレイシーコンプレックスを一掃した。
1999年11月21日、「PRIDE.8」のホイラー戦は、桜庭が初めてメインイベントに登場した記念すべき試合だ。桜庭は序盤から試合を有利に進め、2ラウンドにはチキンウィングアームロックを仕掛け、ぐいぐいと締め上げる。ホイラーは逃げようとするが、その度にさらに腕は極まってゆく。ありえない方向に腕が曲がり、骨がきしむ音が聞こえ、私はこのままでは折れるぞ、レフェリーが止めてくれと思いながらシャッターを切る。その瞬間を撮影しようと、リングサイドのカメラマンが一カ所に集中。リングサイドの観客からは「カメラよけろ、見えねえぞ!」という罵声、場内全体からは「折れ、折れ!」の大声援が飛ぶ中、レフェリーが試合を止めた。日本人が夢見た“グレイシー越え”を成し遂げた瞬間だった。
試合後に桜庭は、ホイラーの実兄でセコンドに付いていたヒクソンに向かってこう言った。
「次はお兄さん、僕と勝負してください」
いよいよ桜庭がヒクソンと対戦するという機運が高まってきた。
この試合のフィニッシュとなったチキンウィングアームロックだが、海外ではキムラロック、あるいはキムラともよばれる。1951年に伝説の柔道家・木村政彦がブラジルで行われた試合で、ヒクソンの実父のエリオ・グレイシーをこの技で破った。それ以来、この名称が使われるようになった。約半世紀もの時を経て、桜庭が同じ技でグレイシーに勝つというのも、なにかの巡り合わせだったのかもしれない。