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「見てはいけないものを見てしまった…」桜庭和志と“戦慄の膝小僧”ヴァンダレイ・シウバの凄惨マッチでカメラマンが抱いた罪悪感

posted2021/12/04 17:03

 
「見てはいけないものを見てしまった…」桜庭和志と“戦慄の膝小僧”ヴァンダレイ・シウバの凄惨マッチでカメラマンが抱いた罪悪感<Number Web> photograph by Susumu Nagao

PRIDEのルール変更により、桜庭和志は4点ポジションでヴァンダレイ・シウバの蹴りを受けることに。この試合をきっかけにシウバは絶対王者へと駆け上がり、桜庭の成績は下降線をたどった

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

グレイシー柔術が“最強”と称されていた時代に、ひとりの日本人プロレスラーが格闘技界に大変革をもたらした。世界的なMMAブームの立役者となった男の名前は、桜庭和志。その姿を撮り続けてきたリングサイドカメラマンの長尾迪氏が、自身の写真とともに桜庭の足跡を振り返る(全2回の後編/前編へ)。

 ホイスを撃破した桜庭には、すでに次のグレイシーが対戦相手として用意されていた。ヒクソンの従兄弟であるヘンゾである。2000年8月27日の「PRIDE.10」で両者は対戦。お互いの寝技を警戒し、立ち技の展開が多かったが、最後は桜庭がチキンウィングアームロックを決める。ヘンゾの左肘はあらぬ方向へ曲がり、脱臼していたがヘンゾはギブアップせず、レフェリーが試合を止めた。ヘンゾは潔く敗北を受け入れ、桜庭の勝利を称えた。試合終了後、ヘンゾの実弟のハイアンが、兄の敵討ちを宣言。ついに桜庭はグレイシーを追う立場から、追われる立場になったのだった。

 この頃の桜庭は2カ月に一度のハイペースで試合をこなしていた。ヘンゾ戦からわずか2カ月後の10月に次の試合を行い、ハイアンとの試合も同年12月23日の「PRIDE.12」で行われた。ハイアンはグレイシーで最も凶暴と言われ、試合よりもストリートファイトに明け暮れている喧嘩屋だった。判定という結果だったが、内容は桜庭の完勝。彼はハイアンに付け入る隙を全く与えず、実力差をまざまざと見せつけた。

 桜庭のグレイシー一族との試合内容と実績。関係者の間では、グレイシーの名誉を守るためには、ラスボスともいえるヒクソンが出陣するしかないだろう、と言われていた。

宿敵ヴァンダレイ・シウバとの邂逅

 桜庭の次戦は2001年3月25日の「PRIDE.13」。対戦相手はヒクソンではなく、後にPRIDEミドル級の絶対王者として君臨するヴァンダレイ・シウバだった。愛息ハクソンを亡くしたばかりのヒクソンは、試合ができる状態ではなかったのだ。この大会から、PRIDEはルールを改正した。最大の変更点は、グラウンド状態での蹴りによる攻撃が認められたこと。寝ている相手に対する膝蹴り、サッカーボールキックといわれる顔面への蹴り上げなど、格闘技界で最も過酷といえるルールとなった。

 シウバはこの試合で、ルール変更を最大限に生かした。グラウンドで下になっている桜庭の顔面に、容赦ない膝蹴り、蹴り上げ、踏みつけ。桜庭の顔面は、みるみるうちに変形してゆく。レフェリーが試合を止めるのに、それほどの時間はかからなかった。リングサイドで撮影していた私はショックだった。桜庭が負けたこともあるが、見てはいけないものを見てしまった罪悪感に苛まれた。

【次ページ】 「危ない、試合を止めろ!」深刻だったダメージの蓄積

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