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格闘技PRESSBACK NUMBER
最強のプロレスラー・桜庭和志はなぜ試合中に微笑んだのか…「格闘技史に残る一枚」のカメラマンが語る“グレイシー狩り”の衝撃
posted2021/12/04 17:02
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
今日では総合格闘技をMMAと呼ぶようになったが、MMAが世間的に知られるようになった90年代の頃は「バーリトゥード(ポルトガル語で何でもありという意味)」「ノーホールズバード(英語で制限のないという意味)」と呼ばれていた。1993年にアメリカでUFCがスタートした当初は、目を突くことと噛みつき以外はすべて許される過激なルールが世間を震撼させた。
日本や世界各国でも同様の大会が開かれるようになったが、その頂点に君臨し、勝ち続けていたのは、グレイシー柔術だった。かの一族は長い間、多くの格闘家や格闘技ファンの共通の敵として認識されていた。最初に述べておくが、筆者は今も昔もグレイシーのファンであり、信者である。
華と実力を兼ね備えた生粋のエンターテイナー
日本でPRIDEが始まっても、その構図が変わることはなかった。高田延彦がヒクソン・グレイシーに2度敗れ、「いったい誰がグレイシーを倒すのか。誰でもいいからグレイシーを倒して欲しい」というファンの願いを、ひとりのプロレスラーが実現した。身長180cm、体重85kg、当時30歳の桜庭和志である。
1999年11月、彼は手始めにヒクソンの実弟のホイラーからレフェリーストップでTKO勝ち。半年後、同じくヒクソンの実弟のホイスと90分に渡る激闘の末、セコンドからのタオル投入による勝利。同年8月にはヒクソンの従兄弟であるヘンゾを相手にTKO勝ち。12月にはヘンゾの実弟ハイアンと対戦し、判定勝ち。世界の天敵とも言えるグレイシーを、桜庭は完全に打ち負かしたのだ。彼は“打倒グレイシー”という思いをファンと共有し、次々に登場するグレイシー一族をばったばったとなぎ倒していった。
誰も越えられなかったグレイシーという巨大な壁を打ち破った桜庭。彼はMMAの世界的人気の向上と発展に貢献した功績を高く評価され、2017年にUFCのHall Of Fame(殿堂入り)に選ばれた。現在もUFCで殿堂入りした日本人は桜庭だけである。彼の活躍は日本以上に、世界で高い評価を受けているのだ。
桜庭には「IQレスラー」「グレイシーハンター」などのニックネームがあるが、私は「最強のプロレスラー」という名称が似合っていると思う。彼の素晴らしさは、プロレス的な要素を、格闘技に取り入れたことだ。プロとして勝敗を度外視しても「魅せる」ことにこだわりながら、同時に勝利という結果も残し続けた。