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体重50kg以下の“ガリガリ少年”が琉球で歩んだ格闘人生 「やり続けてよかった…」砂辺光久が語るRIZIN沖縄大会の意義
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao / Mitsuhisa Sunabe
posted2021/11/28 11:01
砂辺光久の現在と、ガリガリだった高校時代の写真。レスリングの世界では目立つ存在ではなかったが、格闘技にかける情熱は本物だった
沖縄の地における砂辺は、総合格闘技のパイオニア。教えてくれる人もいなかったので、兄と一緒に“関節技の鬼”藤原喜明やコマンドサンボの技術ビデオを見ながら悪戦苦闘するしかなかった。
「あの頃はビデオや本でしか学ぶことができない時代でしたね」
「RIZINを見に行くんです」地元民は砂辺を知らなかった
それから二十数年の月日が流れた。砂辺はホームとするパンクラスで3階級を制覇。過去にRIZINにも2度出場するなど、総合格闘技の世界では沖縄の星となった。かつて夢だったプロレスラーとして活動する機会にも恵まれた。
しかし、本人は「自分の知名度なんてまだまだ」と肌で感じている。大会前、現地のスポーツ用品店に行ったときの出来事だ。砂辺は格闘技ブランドの服を着ていたので、「格闘技をされているんですか?」と店員に話しかけられた。
「ハイ、格闘技をやっています。今度RIZINも沖縄に来ますね」
「そうなんですよ。僕もRIZINを見に行くんですよ」
結局、砂辺はその店員に自分がRIZINに出ることは最後まで口にしなかった。悔しかった。
「そもそも僕は沖縄の街を歩いていても、声はかけられない。でも具志堅用高さんなら絶対に人が寄ってくるじゃないですか」
そうした中、沖縄でもRIZINというプロモーション名は人々の心に刺さると感じていた。
「RENA? 聞いたことある。山本美憂? 知ってる知ってる。そんな感じです。やっぱり毎年大晦日にやっていることは大きい」
大会数日前、沖縄入りした筆者は那覇市内にあるディープでノスタルジックな飲み屋街として知られる栄町市場に足を運んだ。かつての市場のスペースに安普請の居酒屋が軒を連ねる、現地の上戸にこよなく愛される桃源郷だ。そこでは数えきれないほどRIZIN沖縄大会のポスターを見かけた。そしてオリオンビールや泡盛を片手に、RIZINが酒の肴になっていた。砂辺は今大会が沖縄格闘技界の大きな起爆剤になることを確信していた。
「RIZINを見ることで、沖縄にも総合格闘技の選手がたくさんいることを知ってもらえるいい機会になる」