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《追悼》カープ名将・古葉竹織vs悲運の闘将・西本幸雄、42年前の日本シリーズは「事件」だった…近鉄選手が明かす“江夏の21球”秘話
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/18 17:04
当時の広島カープの主力選手たち(1979年撮影)。左から山本浩二、高橋慶彦、江夏豊、北別府学、古葉竹識監督
「サインはスチールじゃなく、ヒットエンドランだったんです。だからスタートも(盗塁より)遅めにしたんです。ただし、走り出したところでアーノルドがサインを見落としているとわかりました。タイミングは完全にアウト。もちろん万が一のこともあるし、必死には走りましたが」
藤瀬は観念したが、その「万が一」が起こった。捕手の送球はワンバウンドとなり、内野手は後逸。セーフどころか失策が重なって、一気に三塁に達した。
アーノルドが四球で歩き、代走の吹石徳一が「9球目」に二盗。これでサヨナラの走者が得点圏に進んだことになる。ここで広島ベンチは打者の平野光泰を敬遠。わずか「11球」で無死満塁となった。
半ば“諦めた”江夏、勝利を“確信”した西本監督
この時の江夏と西本監督の“心境”を『江夏の21球』を引用しながら、紹介したい。
江夏は〈どうやったってゼロでは切り抜けられない。なら、いっそきれいに散りたいと、そう思ったね〉と、半ば諦念し、潔い負け方すら考えていたと打ち明けた。
一方、西本監督は〈勝てると思うとった。当たり前やろ。ノー・アウトなんやで。ランナーが三人いるんや。勝てるはずや〉と勝利、つまり日本一を確信していた――。
証言2)代打・佐々木「もしもう一度、やり直せるとするなら…」
江夏が窮地を脱することになる、ここからの10球。まず近鉄はとっておきの代打・佐々木恭介を送った。前年の首位打者にして、この年の打率も3割2分。ただし、下半身のコンディション不良により、先発ではなくベンチで出番を待っていた。それが近鉄にとっては幸いとなるはずだったが、佐々木本人には一抹の不安もあった。
「しっかりと走れないからね。内野ゴロを打ってしまったら、ゲッツーになってしまうんじゃないかと」
この微妙な打者心理が、「12球目」から始まった江夏との勝負に影を落とす。カウント1―1からの三塁線への高く弾んだゴロが、三村敏之が跳び上がったわずか先を越えて行った。判定はファウル。フェアなら逆転サヨナラ打になった打球よりも、佐々木が悔いていることがある。直前の「13球目」。甘めのストレートを見逃してしまったことだ。