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《追悼》カープ名将・古葉竹織vs悲運の闘将・西本幸雄、42年前の日本シリーズは「事件」だった…近鉄選手が明かす“江夏の21球”秘話
posted2021/11/18 17:04
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Sankei Shimbun
昭和の野球界を彩った名監督が、また1人、天に召された。古葉竹識さんが11月12日に心不全で死去。85歳だった。
選手としても広島、南海で通算1369安打を放った巧打の内野手だったが、それ以上にオールドファンの記憶に刻まれているのは、広島の監督としてベンチの隅っこから戦況を見つめる姿だろう。「赤ヘル旋風」を巻き起こし、球団初のリーグ制覇に導いたのが1975年。監督在任中で4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた。99年には野球殿堂入りした名監督の野球人生において、クライマックスと言っていいのは79年の日本シリーズだろう。
思い出される42年前の“激闘”
相手の近鉄を率いたのは西本幸雄。「悲運の闘将」と呼ばれた理由は、ついに日本一に手が届かなかったからだが、最も近づいたのがこのシリーズの第7戦(11月4日、大阪球場)だった。3勝3敗で迎えたゲームセブンも、逃げる広島を近鉄が追いかけ、広島1点リードのまま9回まで進んだ。ここからゲームセットまでのドラマを克明な取材により掘り起こしたのが、Number創刊号に掲載された、山際淳司の『江夏の21球』である。
日本シリーズ史上に残る名勝負であるからこそ、スポーツノンフィクションの金字塔とも言うべき同作の題材ともなった。残念ながら、筆者は生前の古葉さんにこの試合に関するインタビューをすることはできなかったが、惜しくも敗れた近鉄の選手には取材する機会に恵まれた。
証言1)代走・藤瀬「アーノルドがサインを見落としていると」
最初に局面が大きく動いたのは、21球のうちの「5球目」だ。無死一塁。西本監督は初球をヒットした羽田耕一の代走に、藤瀬史朗を起用した。このシーズン、わずか16打席ながら27盗塁。スペシャリストの登場を、近鉄ファンは紙吹雪で歓迎した。次打者のクリス・アーノルドを迎えるにあたって、広島は内野手がマウンドに集まった。送りバントか、あるいは藤瀬の盗塁か。江夏豊も探りながらの投球を余儀なくされ、カウントは2ボール1ストライク。ヒッティングカウントとなったところで、藤瀬はスタートを切った。