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なぜ「指導は軍隊式だし選手を平気で殴る」トルシエが日本代表監督に?《ベンゲルにフラれた後》の知られざる候補と就任の真相 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2021/11/10 11:05

なぜ「指導は軍隊式だし選手を平気で殴る」トルシエが日本代表監督に?《ベンゲルにフラれた後》の知られざる候補と就任の真相<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

2002年W杯で日本をベスト16に導いたトルシエ。エキセントリックな言動でも注目された

ベッケンバウアーやクライフなども演者に名を連ねていた

 ジェラール・ウリエ(当時フランス協会技術委員長、前フランス代表監督にして後のリバプール、リヨン監督)の主導のもと、フランス協会の肝いりで開催されたこのシンポジウムには、フランツ・ベッケンバウアーはじめカルロス・アルベルト・パレイラ、カルロス・ビラルド、リヌス・ミケルス、マルチェロ・リッピ、ヨハン・クライフ、アーセン・ベンゲルなど錚々たるメンバーが演者に名を連ねていた。

 2日目のみに参加した私は、一緒に聴講したザビエ・バレ(フランス・フットボール誌)とともに、カクテルパーティーではトルシエとの会話の輪に加わった。私たちのすぐ近くでは、ジェレミー・ウォーカー(当時デイリー・ヨミウリ紙)がベンゲルから「アーセナルとの契約が切れた後は、日本に行く可能性もある」という言質を取りつけて、興奮を隠せない様子だった。

 私はといえば、トルシエとのんびり談笑していた。次の代表監督が誰になるかは興味あるが、ベンゲルはあり得ないという確信があったし、誰であるかをスクープすることには興味がなかった。記者失格のメンタリティーかも知れないが、新聞や週刊誌の経験がなく、情報の露出が他よりも1日早いことに価値を見いだせないのだから仕方がない。それよりも、日本人記者は誰もいない試合を取材したり、誰も話したことのない人物をインタビューするほうがずっといい。どんな好き勝手を書いても、誰も何も文句を言えないからである。その分、記者としての嗅覚は劣っているのだろうと思う。

田嶋幸三と小野剛が話しかけてこなかった

 だからこのときも、トルシエが「日本からコンタクトがあった」と自分から告白しても、まったくピンとこなかった。シンポジウムは田嶋幸三と小野剛(当時ともに日本サッカー協会技術委員)も聴講していた。日本人は私も含めて3人だけである。しかも普段は親しく挨拶をかわす田嶋と小野が、この日は私を遠巻きにするだけで話しかけてこない。トルシエは「日本の関係者と会食した」という。「行く気はなかったので断った」とのことだが、嗅覚に優れた記者ならば「これは何かある」と直感しただろう。ところが私には、トルシエと日本代表監督を結びつける発想がまったく浮かばず、彼にオファーを出したのはガンバか、あるいはグランパスかなどとのんきに考えていた。

 日本に戻ってからしばらくして、トルシエが有力候補に挙がっていると聞き驚いた。W杯決勝翌日、ロンドン郊外にベンゲルを訪ねてインタビューした際、次期日本代表監督についての私の質問に、ベンゲルが口ごもったのはこのことだったのかと思った。

 その後、改めてトルシエについて電話で尋ねると、ベンゲルはこう答えた。

【次ページ】 ベンゲル「あいつはバズーカだから(笑)」

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