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なぜ「指導は軍隊式だし選手を平気で殴る」トルシエが日本代表監督に?《ベンゲルにフラれた後》の知られざる候補と就任の真相
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/11/10 11:05
2002年W杯で日本をベスト16に導いたトルシエ。エキセントリックな言動でも注目された
「これだけ人間関係に不器用な人間が、日本で4年間仕事をまっとうできたことが不思議だ」
私にそう語ったのはパトリス・ルロワだった。慶応義塾大学で心理学とフランス語の講座を持つルロワは、20代半ばで来日して東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)講師を務め、以来出入りを繰り返しながら日本を拠点に活動している。年齢はほとんど変わらないが、日仏学院時代は私のフランス語の恩師でもあった。
ルロワのトルシエへのインタビューは、最初はNHKテレビフランス語会話の番組用に国立競技場の無人のスタンドでおこなわれ、2度目は南仏のヴィシーで、ルロワがカリム・ドリディと共同で制作したドキュメンタリーのために撮影された。そのときルロワはトルシエにこう言った。
「日本人に対してシビアで、軽蔑しているようにさえ見える」
「君は日本で必ずしもいいイメージを持たれていない。テレビで見る限り、ときに日本人に対してシビアで、軽蔑しているようにさえ見える。差別的ですらある」
ルロワの言葉に心底驚いたトルシエはこう答えた。
「信じられない。それはまったく逆だ。私は日本人が大好きだ。だが、彼ら(選手たち)がわがままな子供になってほしくない。もしも自分に子供がいたら、私は彼らの人生を素晴らしいものにするために、とても厳しく育てる。選手にも同じことをしているだけだ」
トルシエが選手に厳しいのは、彼らを愛しているからだとルロワは言う。
「選手と一緒にいられることを、フィリップは喜んでいる。それは彼が、子供がいない苦しみをサッカーで埋めようとしているからだ。アフリカでも日本でもそう。彼は子供のわがままを認めない。雨が降った、ピッチが悪いから練習したくないと言っても、そんなことは彼には容認できない」
トルシエの行動のすべてが理不尽ではない
もちろんトルシエの行動のすべてが理不尽ではない。挑発的な言葉も、正論を言っていることのほうが多い。なのに、ほとんどが反発されてしまう。同じことを後に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムが言えば誰もが耳を傾けるのに、トルシエだと聞こうとしない。いくら正しくともお前には言われたくない。そんな感情が先立ち、拒絶反応を起こす。人望の違いと言ってしまえばそれまでだが、その落差は私には大きな驚きだった。同じスポンサー批判でも、人格者オシムの言葉ならOKでトルシエはNGなのか。
就任間もない1998年10月、Jヴィレッジに総勢57人のA代表候補と五輪代表候補を集めた合宿では、選手の取材時間が制限されたことに不満を募らせたメディアを代表して、記者クラブ幹事社の記者たちが取材時間を増やしてほしいとトルシエに要望を伝えた。
トルシエは彼らに「そんなに取材がしたければ、あそこに原子力発電所があるから存分に取材すればいいだろう」と答え、遠くに見える福島第一原子力発電所を指さした。東日本大震災を経た今日では、ジョークとしても見過ごせないフレーズだが、そのときはトルシエらしい切り返しだと思わず笑みがこぼれた。真剣に話し合いに行った記者にすれば、とてもではないが容認できる返事ではなかっただろう。
感情をコントロールできないトルシエが、しばしば暴走を繰り返したのは事実である。私にとってトルシエは、人間の成熟とは何かを真摯に考えさせる鏡でもあった。(「解任騒動編」へ続く)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。