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「選手が監督に甘えすぎた」岩本勉が語る《球団最長政権》栗山監督の10年…“新庄剛志監督”に決まればどう変わる?
posted2021/10/28 11:03
text by
岩本勉Tsutomu Iwamoto
photograph by
KYODO
“野球少年の心”を最後まで持ち続けた監督だった――。この10年間、日本ハムを率いた栗山英樹さんを見てきて、そう思いました。
2012年シーズンから就任して、前半5年は、リーグ優勝2回、日本一1回を含む4度のAクラス入り。一方、後半5年のAクラス入りは一度。次第にファンから厳しい声も上がるようになりました。それでも、在任中に見せた「栗山監督しかできなかったこと」を思い返すと、球団史に残る、ゆくゆくはヒストリーとしてファンに語り継がれる10年だったと確信しています。
「一番ピッチャー大谷」という“功績”
功績として真っ先に頭に浮かぶのは、やはり「大谷翔平」でしょう。今でも忘れられません、日本一を勝ち取った16年シーズン。7月3日の対ソフトバンク戦で「1番ピッチャー大谷」のアナウンスを聞いた時は、「んなアホな……」と鳥肌が立ったことを覚えています。
バッティングも良かった現役時代の桑田真澄さんがパ・リーグに在籍していて、桑田さんの登板試合はDHを解除する、という発想ならまだ理解できます。それを凌駕した、少年野球チームの大黒柱のような“1番ピッチャー案”を誰が思いつきますか。野球界の常識に縛られず、斬新な起用でファンを沸かせたのは、栗山監督の手腕によるところが大きいと思います。
そうした起用を実現する柔軟性に加えて、大谷獲得時のフットワークの軽さも印象的でした。今でもはっきり覚えていますが、花巻東高のスクールカラーでもある紫のマフラーをビシッと決めて、MLB志向の大谷を監督自ら交渉しに行きましたよね。そうした“プロ野球監督らしくない”行動を平然とやってのけるのが栗山監督その人でした。
選手を「ファーストネーム」で呼んだ理由
大谷以外にも、中田翔や西川遥輝、近藤健介、中島卓也……といわゆる“栗山チルドレン”の成長も栗山監督によるところが大きいと思います。監督が選手をファーストネームで呼ぶことは有名ですが、選手をいち大人としてリスペクトし、対等なコミュニケーションで選手たちの心をつかんで、強固な“ファミリー”を作り上げた。一見、放任主義にも見えますが、締めるところは締めていました。もし栗山監督じゃなかったら……栗山チルドレンの半分以上の選手はすでに引退していると思います。