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“消えた競馬場” 群馬で80年間愛された「高崎競馬場」今は何がある? 幻に終わった“ホリエモン再建案”とは… 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/10/14 11:01

“消えた競馬場” 群馬で80年間愛された「高崎競馬場」今は何がある? 幻に終わった“ホリエモン再建案”とは…<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2004年に閉場した「高崎競馬場」今は何がある? 写真は1996年群馬記念、横山典弘が乗るホクトベガが勝利

「これがきっと高崎競馬場の第4コーナーじゃないか」

 空き地の脇の遊歩道を進むと程なくして左にゆったりとカーブしていく。おお、これがきっと高崎競馬場の第4コーナーじゃないか。そのまま比較的急なカーブを描いてぐるりと180度、向こう正面の直線へ。地方競馬場らしく小さくてコーナーの急な高崎競馬場。それを歩いて体験できるのだから、消えた競馬場の旅で馬気分になるのも意外に悪くないのである。

 向こう正面に(正確には向こう正面の外周でしょうね)出ると、そちらもちょっとした遊歩道というか公園のようになっている。Gメッセの巨大な建物に見つめられている感じで気圧されてしまうが、向こう正面から3コーナー入り口あたりに立ってかつて競馬場のゴールがあった方を見てみる。

 ああ、目をつぶればそこにはサラブレッドの息づかいが……。残念ながらそんな情緒的な気分にはならないくらいに訪問当日は暑かったのだが、ほんの20年前にはこの場所を馬が走っていたことは紛れもない事実である。

 競馬場が廃止されてしまえばサラブレッドの影も形もなく、ここが競馬場だったことすら知らない人もいるだろうほどに変貌してしまうのだ。かつての高崎競馬場時代の面影が、場外馬券場に残っているのがわずかな救いと言うべきか。

「競馬場通り」発見!

 と、消えた競馬場の旅は意外とあっさりしたもので、これくらいで高崎駅に戻ることにした。帰り道は違う道で、ということで向こう正面外周に接した通りをとぼとぼと歩く。すると、少し歩いたところでその通り沿いに「競馬場通り」と書かれた看板があった。

 競馬場はなくなっても、かつて競馬場のすぐ裏手を通っていた道は「競馬場通り」のままで変わらない。場外馬券場とともに、この競馬場通りの名が高崎競馬場の存在を後世に伝える。いや、もしかするといつの日かGメッセ通りとかになっちゃうのかもしれないが、なんとか残して欲しいですね……。歴史って、気をつけないと本当に跡形もなく消え去ってしまうので。

ホリエモンの再建案も実現せず…

 高崎競馬場が2004年に廃止されたのは、いうまでもなく膨らんだ赤字のため。1924年から競馬が行われていた歴史ある競馬場で、同じ北関東にあった宇都宮競馬場・足利競馬場とともに“北関東競馬”として連携しながら開催を続けてきた。

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