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《8歳で復活V秘話》マカヒキの“5年勝利なし”は、16年の凱旋門賞惨敗から始まった…それでも京都大賞典を勝てた“理由”とは?
posted2021/10/13 06:00
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
10月10日、阪神競馬場で行われた京都大賞典(GII)をマカヒキ(牡8歳、栗東・友道康夫厩舎)が優勝した。
2016年の日本ダービー(GI)を制したマカヒキだが、同年フランスで勝利したニエル賞(GII)を最後に勝ち星から見放された。凱旋門賞(GI)で14着に敗れると、以降5年以上、古馬との対戦ではただの1度も先頭でゴールラインを切る事は出来なかったのだ。
今回は思わぬ長いトンネルの入り口となった凱旋門賞の際のマカヒキを振り返りつつ、今回の復活劇を改めて讃えたい。
16年のダービーを制し、凱旋門賞へ
16年5月29日に行われた日本ダービー(GI)。サトノダイヤモンドとの激しい競り合いをハナ差で制してマカヒキはダービー馬になった。
すると陣営は秋の最大目標を凱旋門賞とした。父ディープインパクトの雪辱を果たそうと、3歳で早くも海を越えフランス入りしたのだ。
鞍上は若駒Sと弥生賞(GII)を連勝した際に手綱を取ったクリストフ・ルメール騎手。フランスをよく知る男に日本馬初の偉業達成の夢は託された。
フランス入りしたマカヒキが入厩したのは同国の馬の街として有名なシャンティイ。ここで開業する日本人の小林智調教師の厩舎をベースとした。当時、管理する友道康夫調教師は言った。
「日本人の小林調教師が色々と力になってくれたし、ルメール騎手も調教から駆けつけてくれたので心強かったです」
栗東トレーニングセンターとはまるで勝手の違う調教場ではあったが、強力な援護射撃のお陰で戸惑う事はなかったのだ。
ステップレースとしてニエル賞に出走
凱旋門賞へのステップレースとして3歳限定のニエル賞(GII)に出走した。最終追い切りではルメール騎手が跨り、帯同馬であるマイフリヴァが誘導する形で追い切った。これに関してはルメール騎手が言った。
「ジャルネさんに助けてもらいました」
“ジャルネさん”とはトレヴで連覇するなど凱旋門賞を4勝もしていたティエリ・ジャルネ騎手(当時)。ルメール騎手の兄弟子にあたるジャルネ騎手に自ら電話をして併せるマイフリヴァに乗ってもらったのだ。
「お陰で良い追い切りが出来ました。少し柔らかい馬場だったけど、良い動きをしてくれました」
ルメール騎手は確かな手応えを掴んで、前哨戦に臨んだ。