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“消えた競馬場” 群馬で80年間愛された「高崎競馬場」今は何がある? 幻に終わった“ホリエモン再建案”とは…
posted2021/10/14 11:01
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
Sankei Shimbun
何やら世間は総選挙間近だという。選挙と言えば、候補者たちには乾坤一擲の大勝負。勝つか負けるかで国会議員か否かが分かれるのだから、必死だろう。必死の勝負となると、決まってお出ましなのがダルマだ。片方だけ目を入れずに、勝てば勝利のダルマの目入れ。ダルマさんが日本中にかり出されるのが総選挙、というわけだ。
そんなダルマさん、産地としてよく知られているのが群馬県高崎市である。江戸時代からダルマの生産がはじまり、いまでは高崎駅の駅弁にだるま弁当があったり、毎年年明けにはダルマ市が開催されたり、高崎=ダルマといって差し支えないほどの名物になっている。
さて、ここからはそんなダルマの町、高崎にかつてあった競馬場のお話である。競馬だってレースだしギャンブルだし、ダルマさんを傍らに挑みたいもののひとつだが、それはひとまず横に置いて、高崎競馬場の跡地がどうなっているのか、訪れてみることにした。
そもそも高崎駅には何がある?
高崎競馬場は高崎駅のすぐ近くにあった。高崎駅は言うまでもなく群馬県における交通の要衝である。上越新幹線と北陸新幹線が分かれ、川端康成の『雪国』でもおなじみの上越国境のトンネルを控える上越線も高崎駅から。釜めしでおなじみ横川や草津温泉方面にも高崎駅からの列車に乗る。世界遺産・富岡製糸場も高崎駅から出ている上信電鉄という小さな私鉄に乗り換えだ。もちろん、東京都心から直接電車がやってくる高崎線が、高崎駅の主役といっていい。
そんな高崎という大ターミナルの東口に出てみよう。駅前ロータリーを取り囲むようにしてペデストリアンデッキが広がり、その脇にはヤマダ電機。ヤマダ電機は実は群馬発祥で、高崎駅の脇の店舗ビルには本社も入っている。
そんなヤマダ電機の総本山の脇を抜け、駅前の大通りの上をまっすぐ伸びているペデストリアンデッキをそのまま歩いて行く。ペデストリアンデッキが途切れて地上に降りたところにあるのはビックカメラ。ビックカメラも高崎発祥の家電量販店だ。
消えた“高崎競馬場”、今は何がある?
そのまましばらく国道354号という駅前の目抜き通りを歩いて行く。片側3車線の超大通りで、人通りというよりはクルマの多い北関東らしい道である。このまま歩いていてもいいのだが、気分を変えるために高崎芸術劇場のあたりから右に折れて、住宅地の中を進む。10分もしないうちに見えてくるのが、地方競馬の場外馬券売り場、BAOO高崎だ。