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“消えた競馬場” 群馬で80年間愛された「高崎競馬場」今は何がある? 幻に終わった“ホリエモン再建案”とは…
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph bySankei Shimbun
posted2021/10/14 11:01
2004年に閉場した「高崎競馬場」今は何がある? 写真は1996年群馬記念、横山典弘が乗るホクトベガが勝利
だが、バブル崩壊以降の売り上げの低迷は深刻で、累積赤字がひどくなり、2004年限りで廃止されることが決まったのだ。高崎競馬の最終日は2004年12月31日。雪の日であった(おかげで予定していた12レースができずに第8レースで打ち切りになっている)。
ちなみに、ちょうど高崎競馬廃止の直後に競馬法が改正され、馬券の販売を民間委託することが可能になった。それを見越して、当時ライブドア社長の堀江貴文氏(ホリエモン)が馬券のネット販売を中心にした再建案をもって高崎競馬の救済・存続を働きかけたが、これは実現していない。
“跡地問題”もうちょっと粘っていたら…
その後の地方競馬の復活・隆盛は馬券のネット販売あってこそ。そのきっかけは間違いなく2005年の競馬法改正にあったし、立役者のひとつが地方競馬の馬券発売を手がける「楽天競馬」。なんだかいろいろ世の中って皮肉なものですね……。
ともあれ、未来への希望の光が差し込むほんの寸前に廃止されてしまった高崎競馬場。ターミナル・高崎駅から10分少々というとてつもなく便利な場所だから、跡地の再開発も順調に進んだのかと思ったら、それもまた妙に紛糾したようだ。
廃止直前の段階では、サッカーJリーグのザスパ草津(現在はザスパクサツ群馬)のホームスタジアムを建設しよう、などという案もあったという。だが、そもそもザスパ草津自体が2005年に経営問題を起こしてしまったりして、スタジアム案は立ち消えに。その後はとりあえず競馬場の施設をそのまま利用して地方競馬とJRAの場外馬券場にして“暫定的”な活用を続けていた。
せっかく駅近の競馬場跡、つまり広大な空き地があるのに、地元の人の声や土地所有者などを巡るいろいろな利害関係もあったようで、こうした問題はなかなか簡単に解決しないのが常なのだ。
結局、群馬県が主体となってコンベンション施設の建設が決まり、2016年までに競馬場施設はすべて解体される。その間も一部の地元の人たちはコンベンションセンターに反対していたようだが、2017年に工事が着工し、2020年に晴れて開設に至ったというわけだ。
こうしてすっかり競馬場時代から生まれ変わってしまった高崎競馬場。もうほんの少しだけ粘っていたら状況が変わっていたのになあ……というのは言っても仕方がないことだ。公営競技は黒字ならば主催自治体にお金が入るが、赤字だったら税金の持ち出し。さらに競馬には“ギャンブル”という人によっては負の側面がつきまとう。2000年代前半、多くの地方競馬が廃止されたのも自治体側の立場にすればどうしようもないことだったのだ。
それが20年たって、真新しいコンベンションセンターへ。これからの時代、こんな大きなコンベンションセンターが地方都市に必要なのかという気もしてくるが、それもまた、別の話である。
(写真=鼠入昌史)