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「プロ11年で15勝」斎藤佑樹の引退に思う“ドラ1候補”たちの数奇な人生 〈荒木大輔は大学生になりたかった?〉
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/02 11:03
2010年ドラフト会議で4球団が1位指名。抽選の末、斎藤佑樹は日本ハムに入団した
志村は自身の可能性を冷静に分析していた。
「もし自分がプロ野球に入ったとして、すごく伸びそうだというイメージはありませんでした。課題はわかっていましたし、改善点は見えていましたが、いまメジャーリーグで活躍している選手たちと比べたら伸びしろはなかったでしょうね」
現在、三井不動産リアルティ株式会社で執行役員をつとめる志村は、「野球を続けなかった決断を後悔したこともありません」と語っている。
高卒後の進路。荒木大輔は「プロ野球」を選んだ
そしてもうひとり思い出すのが、80年夏から5季連続で甲子園出場を果たした早稲田実業のエース・荒木大輔だ。82年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した荒木は、プロでの14年間で39勝49敗2セーブという記録を残し、引退した。
ドラフト当時のことを荒木は次のように振り返る。
「高校を卒業するとき、父親は僕をプロ野球に行かせたかった。一方母親は大学進学を望んでいました。そのうえで『自分で決めろ』と言われました。プロに行くと決めるまで、どれだけ考えたかわかりません。
人生の選択は非常に難しい。よかったか悪かったかなんて、結果次第ですから。プロの世界に早く入ることも大事ですが、それがすべてではありません。迷ったときに大切なのは、自分で考えること。アドバイスはたくさん聞くべきですが、最後に決めるのは自分。そうでなければ、後悔します。
プロ野球選手になったことで、いろいろな出会いがありました。もしアマチュアのままだったら、2、3人の監督としか野球ができなかったでしょうが、プロ野球ではたくさんの監督と野球をさせていただきました。いろいろな指揮官のもとでさまざまな教育を受けたことが自分の身になっています」
右ひじ手術からの劇的な復活、西武ライオンズとの日本シリーズでの激投――数字以上の価値が荒木のピッチングにはあった。
甲子園に5度も出場し、頂点には立てなかったものの、12勝も挙げることができた。高校卒業後にドラフト1位指名を受けてプロ野球選手になり、ふたケタ勝利も開幕投手も、日本一も経験した。野球選手としての幸福をすべて味わったようにも思える。
もしもうひとり“荒木大輔”がいたなら……
「後悔は何もありません。ただ、もしもうひとり“荒木大輔”がいたならば、大学に行ってみたかった。早実の同級生に会うたびにそう思います。大学生活も、野球も含めて、楽しそうじゃないですか。僕は学校が好きなんです、勉強はそうではありませんが(笑)。小学校からずっと、仲間といることが本当に大好き。甲子園で思い出すのも、勝ち負けよりも、仲間との時間ですから」
斎藤佑樹の野球人生は、ここで大きな区切りを迎えた。ユニフォームを脱ぐ瞬間に、彼は何を思うのか。
燃え尽きたのか? やり切ったのか? 後悔はないか?
最後に、そう問いかけたい。
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