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「プロ11年で15勝」斎藤佑樹の引退に思う“ドラ1候補”たちの数奇な人生 〈荒木大輔は大学生になりたかった?〉

posted2021/10/02 11:03

 
「プロ11年で15勝」斎藤佑樹の引退に思う“ドラ1候補”たちの数奇な人生 〈荒木大輔は大学生になりたかった?〉<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2010年ドラフト会議で4球団が1位指名。抽選の末、斎藤佑樹は日本ハムに入団した

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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 残念ながら、もう「まさか」と思う野球ファンはいないだろう。

 プロ野球で残した数字は15勝26敗、防御率4.34。一軍での登板はわずか88試合だけ。あまりにも寂しすぎる11年だった。プロ1年目に6勝、翌年に5勝を挙げたが、2012年に右肩関節唇の損傷が発覚。2020年には右ひじの靭帯断裂が明らかになった。

 斎藤佑樹が所属した11年間で、北海道日本ハムファイターズは2度のリーグ優勝を飾ったものの、それへの貢献度は低かった。16年のシーズンオフに背番号を1に変えても、事態は好転しなかった。

甲子園のスターが直面した「11年の苦闘」

 ダルビッシュ有に続いて大谷翔平、早稲田大学の後輩でもある有原航平がファイターズを離れメジャーリーグに渡ったが、13年以降、ローテーションに定着することはできなかった。

 早稲田実業で全国制覇を果たした06年夏の甲子園。07年春に入学した早稲田大学で挙げた通算31勝。11年の前と後とでは、まったく別の野球人生にさえ見える。

 アマチュア時代に記録した最速150キロのストレートは130キロ台に落ち、変化球を巧みに駆使しても、プロの打者には通用しなくなっていた。

 もし、高校卒業後にプロ入りしていたら? もし、肩やひじを痛めることがなかったら? そんな「たら・れば」を口にしてもまったく意味はない。

 プロで11年間、ファイターズのユニフォームを着て、15勝しかできなかった――それが現実だ。

大卒ドラ1候補→指名拒否。志村亮は「会社員」を選んだ

 斎藤佑樹引退のニュースを聞いて、ふたりの投手の顔が思い浮かんできた。ひとりは、80年代後半に慶應大学野球部のエースだった志村亮だ。

 緩急を自在に操り東京六大学野球で通算31勝をマークした志村(17敗、防御率1.82。斎藤は31勝15敗、防御率1.77)は、88年ドラフトの目玉と騒がれ、12球団のうち9球団が獲得に動いたという噂があった。しかし、プロ入りを拒否し、硬式野球部のない三井不動産に就職した。彼はその選択についてこう語っている。

「ドラフトで上位指名されるような選手は、アマチュアでそれなりの成績を残した人か、結果は出ていなくても潜在的な可能性を認められた人。もちろん、ヘタな選手なんてひとりもいません。そのなかで通用するためには、心技体のすべてをランクアップさせる必要がある。プロになったことに満足して、努力を怠って、アマチュア時代よりも力を落とすような選手も見ています。プロ野球は、スター選手になるくらいの自信と覚悟がない人間は入ってはいけない世界だと思っていました」

【次ページ】 荒木大輔「プロに行くと決めるまでどれだけ考えたかわかりません」

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