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「河野太郎はベルマーレ会長だった」「太郎の祖父は4年連続箱根駅伝ランナー」“3代世襲”河野一族はスポーツガチ勢《総裁選》
posted2021/09/28 17:03
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
KYODO
自民党総裁選の投開票が9月29日に行われる。次期総裁はそのまま首相となるだけに、一般的な関心も高い。各種の世論調査では、今回出馬に名乗りをあげた4候補のうち河野太郎が人気でリードしているとの結果が出ている。
河野太郎は衆議院の1年生議員だった1999年、そのころ経営も戦績も低迷していたJリーグ所属の地元のクラブ・ベルマーレ平塚(2000年に湘南ベルマーレと改称)の代表取締役を引き受け、2年にわたり再建にあたった。スポーツとのかかわりでいえば、慶應義塾の中等部(中学)・高校在学中には競走部に所属し、主将も務めている。入部した理由の一つには、大学に入ってから箱根駅伝に出場したいというのがあったという。
太郎の祖父の河野一郎、大叔父(一郎の弟)の河野謙三はともに、早稲田大学在学中に競走部員として箱根駅伝で走っている。父親の河野洋平もやはり早大競争部のマネージャーとして、箱根駅伝では車に乗りながら選手に伴走した経験を持つ。祖父は太郎が2歳のときに亡くなったが、大叔父や父からは正月ともなると箱根駅伝の話を聞かされた。それだけに太郎も憧れを抱いていたが、そのうちに慶大では予選会ぐらいしか期待できないと気づき、断念する。このことは、慶大を中退してアメリカのジョージタウン大学に留学するきっかけにもなったという。
一郎・謙三・洋平はいずれも政治家となってから日本陸上競技連盟(陸連)の会長を務めた。そもそも陸連の発足には一郎が深くかかわっている。彼はまた1964年の東京五輪の開催時には五輪担当大臣も務めた。一方、謙三は日本体育協会(現・日本スポーツ協会)の会長として日本のスポーツ界全体の発展に貢献している。河野家の人々とスポーツ界のかかわりからは、政治とスポーツの関係も見えてくる。ここでちょっと振り返ってみたい。
祖父も大叔父も箱根“区間新”ランナー
河野一郎と謙三の兄弟はそれぞれ1898年、1901年に現在の神奈川県小田原市で生まれた。一郎は早稲田大学の高等予科政治科の2年生だった1920年、第1回箱根駅伝に出場して以来、早大政経学部に進んで卒業するまでに4年連続で走っている。1922年の第3回では7区を走り、8区を走った謙三と兄弟そろって区間新記録を出し、早大の初優勝に貢献した。