野球クロスロードBACK NUMBER
《甲子園V》智弁和歌山の“元プロ”監督・中谷仁42歳は何がスゴいのか? 飾らない“兄貴分”で一蓮托生「批判は覚悟の上です」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/08/30 17:01
甲子園で優勝を果たした智弁和歌山の中谷仁監督
マスクをしていても、表情に深刻さがないことはわかる。目じりを下げながら、わざと「ははは」と笑う余裕さえあった。
中谷の覚悟。それは、結果という「先」ではなく、選手の「今」を見続けることだった。つまり、選手の目線に立ち、とことん向き合うと決めたのである。
「(監督の)特製野菜炒めがおいしいんです」
その中谷が19年、監督となって最初に迎え入れた新入生が、今の3年生だった。
のちに主将となる宮坂が言っていた。
「自分たちのことを第一に考えてくれる、熱心な方。日頃の言動全てにそれを感じます」
1年生の終わりに野球部の寮に入ったエースの中西も、親しみを込める。
「ストレッチに付き合ってくださったり、野球のビデオを観ながら話してくださったり。あと、夜食も作ってくれます。チャーハンと特製野菜炒めがおいしいんです」
中谷が選手と、一蓮托生とも言うべき接し方をするのには理由がある。
自らがプロ野球時代に抱いた後悔。それを、彼らに教訓として落とし込むためだ。
「大学、社会人、プロに進むと、自分で物事を決めることが多くなるんです。練習で言えば、全体でやる以外の時間で一心不乱にバットを振らず、楽なほうに逃げてしまった自分がいたんです。そういう反省点を子供たちに伝えたいんです。高校生の段階で学んでおけば絶対にプラスになる。社会に出た時に評価されるOBになってほしいので、厳しく語り掛けるようにしています」
“出来すぎた”監督としての甲子園初優勝
経験の還元。その伏線はまだある。
プロ野球の楽天時代、中谷には忘れられないプレーがあった。
2009年のクライマックスシリーズ第2ステージ第1戦。勝利目前の9回、逆転サヨナラ満塁本塁打を許して敗れた試合でマスクを被っていたのが中谷だった。
この敗戦について、智弁和歌山の監督になってからも、楽天時代に馴染みのあった記者にこのように語っていたという。
「あの試合を『いい経験だった』とはまだ言えません。選手に100%の覚悟を持ってプレーさせられるようにならないといけません」
この教訓が生かされたのが智弁学園との決勝戦だとしたら、あまりにも出来すぎている。
4-2と2点リードの4回。無死一、二塁と長打が出れば同点とされるピンチで、中谷が動く。先発の伊藤大稀からエースの中西へ早々とスイッチしたのである。意図はこうだ。
「あの展開でこちらのペースに持っていくには中西しかいませんでした。相手は強力打線ですし、そこで同点にされると後半苦しくなる。だから中西に任せました」
エースは監督の期待に応えた。送りバントで1死二、三塁とされてからも冷静で、2者連続三振で相手の勢いを断ち切った。中谷からすれば、準決勝で完投した姿から「今日(決勝)も任せられる」と確信しての起用だった。
これこそまさに、「100%の覚悟」を体現したプレーではないか――そう中谷に尋ねると、「いやいや」と自分のことをはぐらかすように、選手のパフォーマンスを褒める。
「子供たちが気持ちを出してやってくれたことなんで。僕の経験が体現されたわけではなく、心情としましては、一緒に苦しんできた子供たちが『大きな仕事をやっちゃったな』って気持ちだけです」