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《命日》“K-1の大スターで功労者”アンディ・フグが遺した“礼節、誇り、気高さ”「彼のかかと落としは、まさにフォトジェニックだった」

posted2021/08/24 11:02

 
《命日》“K-1の大スターで功労者”アンディ・フグが遺した“礼節、誇り、気高さ”「彼のかかと落としは、まさにフォトジェニックだった」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

K-1GP1996にて優勝を飾ったアンディ・フグ

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

代名詞の「かかと落とし」を武器に、創世記のK-1の舞台で輝きを放った空手家アンディ・フグが、8月24日に21回目の命日を迎える。カメラマンとして彼の活躍を撮影し続け、親交のあった長尾迪氏が、秘蔵写真とともにその功績を偲ぶ。

 みなさんは覚えているだろうか? アンディ・フグが亡くなって、今年で21年になる。

 アンディは極真出身の空手家で、石井和義(正道会館館長)が1993年に立ち上げたK-1(2003年より運営会社が替わり、今のK-1とは別組織)のスター選手だった。メジャーなコマーシャルに起用され、映画やテレビ番組にも多数出演した。格闘技の存在を世間に知らしめ、格闘家としての社会的な地位向上に大きく貢献した。

 石井館長が運営したK-1は、地上波でのゴールデンタイムの放送を実現させ、名古屋、大阪、東京のドームツアーも成功させた。格闘技はスポーツコンテンツの1つとなった。  

 現在のように、格闘家が選手として生活できるようになったのは、この2人の活躍によるところが大いに影響していると、私は思う。

まさにフォトジェニックだった「かかと落とし」

 アンディがプロデビューしたのは1993年。最初は、手による顔面攻撃のない、空手ルールだった。後に、アンディの代名詞となる『かかと落とし』とは、片足を頭上に上げ、落下の勢いで脳天へかかとを打ち下ろす技である。この技で相手をKOする姿は、迫力満点ながらも、美しくもあり、まさにフォトジェニックだった。その後は、グローブを着用した顔面攻撃ありの試合(いわゆるキックボクシングルール)をするようになった。

 1994年には前年度王者のブランコ・シカティックに勝利。同年のK-1グランプリ(8名の選手による1dayトーナメント)の優勝候補と期待された。しかし、グランプリ初戦でパトリック・スミスに僅か19秒でKO負け。石井はアンディのために、K-1リベンジという大会を用意した。アンディはスミスを56秒で倒し、雪辱をはたした。「リベンジ」という言葉は、1999年に流行語大賞を受賞してから一般的には使われるようになったが、日本で最初にこの表現を使ったのは、K-1だったのではないだろうか。

【次ページ】 小柄なアンディが猛者たちを倒していった衝撃

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